© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
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第十七話 お約束のスローボール。その一
大グラウンに、昨日の雨の名残はほとんどない。午後二時半、予定通りのメンバーが集まった。ラジオ体操に参加している大人たち、プラス私たち中学生の総勢十六人。一チーム八人ずつ、大人のAチームと青少年のBチームに分かれ、一試合七回までの試合をする。Aチームは高井和先生に今日子先生と佐百合先生、青年団の清行兄さんと忠治兄さん、それに明代姉さんと克子姉さんとゴロベエ先生。Bチームは私たち中学生の六人に、小学生代表で祐輔が加わり、透さんは私たちのチームに入ることになった。
明代姉さんと克子姉さんは、本来なら青少年のBチームに入るべきところだが、ラジオ体操に参加しているということと、メンバー不足の都合もあって、「きゃー、なんで私たちが透さんより年配なの?」と不満をこぼしながら、しぶしぶAチームに加わった。残りの小学生たちと元ジイはBチームの応援にまわり、審判はバスの運転手の小松さんが買って出た。それにしても、ラジオ体操に参加している大人たちが、こんなにいたなんて知らなかった。克子姉さんと同じく、いつのまにか明代姉さんまでが、その仲間入りになっていたのはちょっと驚いた。
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試合が始まったのは三時。両チームとも打順はあみだくじで決め、守備はバッテリーだけは上手い人がやって、残りは内野四カ所、外野二カ所から適当に好きなところを守ることになった。私たちBチームのバッテリーは、和則と元信が組み、Aチームは、明代姉さんと忠治兄さんが組む事になった。明代姉さんは、実はかつて、ソフトボールの豪腕ピッチャーだった。小学生の時、相手チームの男子たちを、バッタバッタと三振に仕留めていたのだ。 登校日の部活で、しょっちゅう野球をやっている和則と、元豪腕ピッチャーの明代姉さんが本気で投げ合えば、『〇』がスコアにずらっと並ぶ、つまらない試合になるのは目に見えていたから、女子にはスローボールを投げる、というハンディを付ける事になった。おかげで、私たちのぎこちないバッティングでもそこそこのヒットが打てたから、試合は面白いようにシーソーゲームになった。
毎回のように点の取り合いで、気がついたら六回までに十対八というスコアになっていた。そして迎えた最終回、二点を追いかけて、私たちの攻撃が始まった。私と由美が立て続けにピッチャーゴロ。で、あっというまにツーアウト。しかし、続く祐輔がヒットを放ち、その次の和則が二塁打を打って、ツーアウト三塁二塁とし、さらに、博己先輩のボテボテのゴロが、運良く内野安打となってツーアウト満塁。まるで絵に描いたような展開になった。そして、次のバッターは透さん。実は、私たちのチームでヒットを打っていないのは、透さんだけだった。それまでの打席は、全て内野フライ。未来の野球のことに詳しいし、試合の参加にも快諾してくれたから、きっと、野球が上手いのかもしれない、と勝手に思い込んでいたのだが、そうじゃなかったみたい。それでも、ぎこちないながらも一塁へ一生懸命走る姿や、気合いの入った顔で守備に着く透さんに、私たちはとても好感が持てた。だから、応援する声にも力が入った。
「がんばれーっ!」
透さんは息を深く吐き、素振りを一回して打席に入った。
「かっ飛ばせーっ、とっ、おっ、るっ!」
小学生たちの声援もさらに盛り上がった。富美蔵おじさんのトラクターに便乗して、途中から応援に駆けつけていたキクばあちゃんも、小学生たちに混じって黄色い声援を送った。
やがて明代姉さんが腕を振り、第一球を放った。少し高めのコース。すかさず透さんはバットを振った。しかし、プチッと擦ってボールはバックネットへ。
「ファール!」
小松さんの両手が挙がった。
「ドンマイ! ドンマイ!」
「当たってる! 当たってる!」
和則と元信が声をかけると、透さんはもう一度息を深く吐いた。続く第二球は、他の男子たちへのボールよりも、わずかにスピードが遅かった。透さんはそれをギリギリまで引きつけ、バットを振った。パンッ、と乾いた音を立ててボールが弾いた。打球がサードの頭上を越えて行く。私たちは思わず立ち上がった。しかし、わずかのところでカーブがかかり、ボールはラインの外側に落ちてしまった。
「ファール!」
再び小松さんの両手が挙がる。
「惜しーっ!」
ベース上の祐輔が地団駄を踏むと、小学生たちが次々とため息をこぼした。ツーストライクでたちまち追い込まれた透さんは、気を取り直し、今度は片手一本でバットを立てて前に突き出し、今までとは違うポーズをとってみせた。見たこともない不思議な構え方に、
「おっ、予告ホームランっ!?」
と、和則が期待し、私たちはさらに声援を送った。明代姉さんがグローブを顔に近づけ、おまじないのように何かを呟いた。やがて、腕がしなやかに回転を始め、第三球目が放たれた。ボールは、ゆっくりと放物線を描いた。私たちへのお約束のボールよりもずっと遅く、この試合で一番のスローボールだった。透さんの脇が引き締まったとたん、構えたバットの先が揺れ、動き出した。ゆっくりと、ボールがバットめがけて吸い込まれていった。
『打てっ!』
この瞬間、Bチームと応援団の全員が、そう願ったに違いない。しかし、ブンッと、音を立ててバットは空を切った。とたんにバランスを崩し、透さんは鮮やかすぎるほどの見事な尻もちをついた。はずみで、手から離れたバットがカラカラと地面を転がった。一瞬の静寂が、その音を大きくした。
「スットラィークッ! バッタァーアウトーッ!」
小松さんの右手が高々と挙がり、私たちと応援団のため息が、グラウンドの上で交差した。
1975年8月16日 14:30