© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
第八話 ジャックもレタスも、大丈夫。その二
明代姉さんは、中一の時に「小さな恋のメロディ」という映画を見て以来、それに出演していたジャック・ワイルドにゾッコンになった。周りの女子たちがあいざき進也に夢中になっている時でさえ、ジャック・ワイルド一筋。リバイバル上映されるたびに映画館に通い続け、高二になるまでの四年間に、合計で七回も見たらしい。そんな明代姉さんに影響されて、光子と由美が夏休みが繰り返すようになる年の春休み、最後のリバイバル上映と銘打たれた「小さな恋のメロディ」を見に行った。そして、彼女たちは主演のマーク・レスターのファンになった。
実は私も彼女たちに勧められ、その映画を見に行った。光子と由美が見に行った次の日のことだった。でも、直前で他の映画に変更になってしまった。れんげをいっしょに連れて行ったのが間違いだった。れんげは上映館の入り口で「こんな子供の映画は嫌だ! こっちのがいい!」と駄々をこねた。普通の小学生の女の子だったら、絶対に逆のパターンで駄々をこねるのに。おかげで、隣のブルース・リーの映画を見るはめになってしまった。
次の週の日曜日に改めて見に行こうと思ったけれど、さすがにお小遣いが足りなくなって諦めた。この村から映画を見に行くのは結構大変で、映画館のある大きな町まで、バスと電車を乗り継いで二時間もかかる。短期間に何回も見に行ったら、交通費だけで映画代八百円を遥かに越え、予算オーバーになってしまう。そんな過酷な状況下、明代姉さんは七回も見に行った。その情熱は凄まじい。
そういう訳で、私は未だに「小さな恋のメロディ」を見ていない。夏休みが繰り返しているかぎり映画館には行けないし、時間差電波に期待しても、テレビで放送することは、多分ないだろう。
ジャックとレスターのファンたちが、歓喜の声を上げているのを見て、
「水を差すようで悪いけど、ゲストの持ち物、ここでは役に立たないってこと、忘れたの? だいたい、電話できたとしても、外国の映画スターが、一般人のかけてきた電話なんかに、出てくれるわけないでしょ」
と、克子姉さんが非情にも指摘した。ううっ、確かにその通り。口には出さなかったものの、私もうっかり期待してしまった。
「もう、克子姉さんのいじわる!」
明代姉さんがすねてみせると、
「店のは外国にもかけられるよ」
キクばあちゃんが、あっさりと言った。
「電話を設置した時、電電公社の人が言ってたからねえ」
「そういえば、今の電話からだって、かけようと思えばかけられるんだった。国際電話」
明代姉さんが思い出して手を打つ。しかし、
「どっちみち、外には通じないよ」
ふたたび克子姉さんが指摘した。私たちは肩を落とし、ため息をつく。今のこの村からは、国際電話どころか、近くの町の市外局番にだって通じない。通話が可能なのは、タイムトラベル域内に限られている。明代姉さんは両手を広げ、わざとオーバーなポーズで首をすくめた。キクばあちゃんが笑い出すだすと、私たちにも次々に感染し、台所が笑い声で溢れた。
「薄力粉、もらって来たぞー」
青年団の清行兄さんが玄関口で声を上げた。薄力粉は、運搬係の清行兄さんたちが、村の家々から少しずつ集め、公民館へ運んできてくれる。おしゃべりで盛り上がっていた私たちふくれもち係は、割烹着を身につけ、慌てて表に出た。
歓迎会の準備には、住民総出であたる。たとえばお父さんたち男性陣は会場づくり。座布団やテーブルを並べて、会場の中学校の講堂を宴会場に変える。中学生以上の男子と青年団は運搬係。小学校や公民館、各家々から必要なものを運ぶ役割。お母さんたち女性陣は料理係。歓迎会の食べ物は、ふくれもち以外はそれぞれの家でこしらえたものを持ち寄よることになっているから、普段は曖昧に料理を作っているお母さんが、この日ばかりは気合いが入る。小学生たちも、会場周辺の掃除をしたり、お父さんたちを手伝ったり、積極的に準備に参加してくれる。みんな、嫌々準備しているわけではない。歓迎会といっても、私たちにとってはお祭りみたいなものだから、だれもがわくわくしながら役目をこなしている。もちろん、ふくれもち作りもそうだ。明日の生地をこねる作業だって、とっても楽しい。
清行兄さんと和則が、軽トラックの荷台から、どんぶりや茶碗に入った薄力粉を並べたトレイを、すでに降ろし始めている。
「キーボーにカズ、いつもごくろうさんなあ」
キクばあちゃんが、私たちの後ろから二人をねぎらった。
「なあに、明日はお祭りみたいなもんだから!」
清行兄さんは胸を張った。明日の期待感は、やっぱりみんな同じなのだ。
「お祭りの準備ほど、楽しいもんはないもん。なあ和則」
清行兄さんが和則の肩をたたくと、和則は眠そうな目をこすりながらうなずいた。みんな張り切っているというのに、こいつだけは全然覇気が感じられない。どうせ、エッチなハガキのことしか頭に入っていない。
「あんた、また夜更かしして、鶴光にハガキ書いてたんでしょ」
私は軽蔑のまなざしを浴びせる。
「へ、変なこと言うな! シーコ!」
と、和則はしらばっくれる。
「和則くーん、夜更かしばっかりしてたら、また鼻血吹き出して、今度は止まんなくなっちゃうわよーん」
すかさず、明代姉さんが色っぽい声でからかった。口をパクパクさせて反論しようとした和則だが、多勢に無勢と悟ったのか、顔を真っ赤にして、むくれたまま黙ってしまった。
和則は、毎週土曜日の深夜に放送されている、鶴光のオールナイト・ニッポンにはまってて、リクエストコーナーにハガキを投稿するのを生き甲斐にしている。リクエストコーナーといっても、子守唄代わりの素敵な唄をリクエストする、といった可愛いものではない。落語家の鶴光が「乳頭の色は?」や「今日はネグリジェ着てまんの?」を連発する、ドスケベたちに大受けしている番組だから、全国から投稿されてくるのはエッチな話ばかり。和則も、くだらない創作小話をせっせと書いては、いつか鶴光にハガキを読んでもらうのを夢見て、毎週投稿している。たぶん、ハガキは放送局に届くことは無い。そのことは和則も分っているくせに、夏休みが繰り返すようになってからも、ずっと投稿し続けている。まったく、バカに付ける薬は無い。できるなら、私の友達、美香子の彼氏の爪の垢を煎じて、たっぷり飲ませてやりたい。その素敵な彼氏と、小学校の時から仲が良いっていうのが、どうも腑に落ちない。まあ、投稿に関しては、しょうもない夢ではあるけれど、懲りずに続けているその根性だけは、誉めてあげてもいい。
「器はいつも通り、玄関前に出しといて」
そう言って、清行兄さんは軽トラのエンジンをかけた。
「それじゃ、ばあちゃん、あとよろしく! みんなもがんばってな!」
「はーい!」
私たちがお茶目に手を振ると、助手席の和則が、両手で左右の目尻と頬を摘み、いかにも憎たらしくベロを出した。…やっぱり、誉めてあげるのは撤回しようと思う。
大きめの四つのボールをテーブルに並べ、その中へ、茶碗に入った薄力粉を次々に移し替えていく。その上に布巾をかぶせ、薄力粉の準備はこれでオッケー。後は蒸篭やら大皿やら、明日使うものを洗っておく。一通り作業が終わったのは、十二時ちょっと前。その後は広間でお昼ご飯。キクばあちゃん特製のおにぎりを食べる。毎回、差し入れ代わりに私たちの分まで作って来てくれる。これが実においしい。
キクばあちゃんのおにぎりは、団子のように丸い。全体をとろろ昆布で覆っている。中身はおかかと細かく刻んだタクアン。このおにぎりを食べることが、ふくれもち係の楽しみの一つになっている。
午後の作業は二組に分かれる。一組はふくれもちの中に入れるアンコ作り。本来なら、アンコと生地は一緒に作る。だけど、ふくれもちの数が多いから、今日のうちに作っておく。明日の朝、一斉に生地作りに取りかかるためだ。もう一組は、ふくれもちの下に敷く、ふくれもちの葉っぱを摘みに行く。
アンコ作りはキクばあちゃんと克子姉さんと明代姉さん、葉っぱ摘みは私と光子と由美の担当だ。
村を流れる二つの川のうちの一つ、もちこし川の上流あたりに、ふくれもちの葉っぱはたくさん生えている。上流といっても山奥ではない。もちこし川は、遅れボタルが生息する奥野川と違って短く、川幅も、私が簡単に飛び越えられる小川。上流は、キクちゃん商店の裏の山道を二百メートルほど登ったところにあって、徒歩で約十五分で辿り着く。私たち三人は、いつものように編みカゴを抱え、そこへ向かう。
私の背よりも低い小さな滝が、せせらぎを奏でいてる。そこを過ぎると、もちこし川源流がある。幅が三メートルほどの水たまり。真ん中あたりに清水が湧き出ている。水たまりの回りに、ふくれもちの葉っぱが群生している。つやのある葉っぱが、ところどころ、木漏れ日を照らして輝いている。そこに羽を休めていた可愛い糸とんぼたちが、静かに舞って私たちを出迎えてくれる。
糸とんぼは、虫嫌いの私が許せる二つの虫のうちの一つ。飛んでる姿が可愛い。もう一つは遅れホタル。しかし正確には、ホタルは近くに寄ってこられてはちょっと困るので、唯一、心を許している虫は、実際はこの糸とんぼだけ。
「さあ、始めようか」
私たちは、早速、ふくれもちの葉っぱを摘み始めた。ツルさえ枯らさなければ、葉っぱは次の夏休みにはしっかり元に戻る。だから、摘むときはツルを折らないように優しくもぎっていく。予備も含めて一人四十枚の葉っぱを摘む。合わせて百二十枚。歓迎会以外の日でも、時々、ふくれもちを作っているキクばあちゃんのために、ほどよい形の葉っぱをいくらか残し、次々に摘んでいく。
ふくれもちの葉っぱは、小さな実をつけたツル植物。もうずっと青いままだが、その実は、秋になると鮮やかな赤に染まる。本当の名前はサルトリイバラというらしい。けれど、村では昔っから、ふくれもちの葉っぱは「ふくれもちの葉っぱ」と呼ぶ。葉っぱ一枚を指しても「ふくれもちの葉っぱ」。葉っぱをたくさん付けたツル全体を指しても「ふくれもちの葉っぱ」と呼ぶ。形は桃を真横から見たようで、可愛い。こぶし大のふくれもちの下に敷くのにちょうど良い。さらに、蒸し上がったときの見栄えも良い。
「シーコさん」
しばらくして、由美が囁くように声をかけた。光子が私の左肩を指差して、にっこり笑っている。
「あ…」
いつのまにか、糸とんぼの一匹が私の肩に止まって、ゆっくりと羽を動かし、開いたり閉じたり、静かに繰り返している。まるで私たちを労って、「お疲れさん」と言っているように思えた。この夏は、何か良いことがあるのかも。ふと、そんな気がした。
1975年7月31日 10:58