© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
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第十九話 その顔に衝撃を受ける。その二
「違うって、水戸黄門、やってないの?」
清行兄さんが、座ったままテレビに向かって身を乗り出すと、ちょうど、印籠がアップで写った。
「なんだ、やっぱり水戸黄門じゃないか」
呆れた様子で腕を組む。すると、映像が黄門様の顔に切り替わった。しかし、
「違う!!」
みんな、あっけにとられて思わず声を上げた。角砂糖に蟻がたかるように、私たちはさらにテレビの近くに群がり、画面に見入った。
「水戸黄門…じゃないよね」
「うん、全然違う」
由美と光子が確認し合った。
「でもこれ、どう見たって水戸黄門だよな」
「格好は同じだけど…、う、うーん」
和則と元信は首をかしげ、唸っている。衣装は確かに黄門様。しかし、その顔は、東野英治郎演じる、おなじみの黄門様とは似ても似つかぬ顔をしている。
「もしかして、昔の映画版かな? 黄門様の顔、どっかで見たような顔だし、上下に黒帯付いてて横長の画面になってるし」
清行兄さんが、また身を乗り出すが、忠治兄さんは首を横に振る。
「おれ、映画の水戸黄門、何本か見た事あるけど、こんなの、見た事無い」
すると、
「ねえ、この人、助さんじゃないの?」
突然、明代ねえさんが画面の黄門様を指した。
「明代ったら、何可笑しなこと言ってんのよ」
克子姉さんは、肘で明代姉さんの腕をつついた。
「だってそっくりだよ。えーっと、助さん役の人、なんとか浩太郎…」
「里見浩太朗?」
「そうそうそう! 里見浩太朗!」
三度もうなずき、明代姉さんは確信している。
「だから、里見浩太朗は隣の助さんでしょうに」
「そうじゃなくって、水戸黄門が里見浩太朗なの! ほら、よく見てよ。目とか鼻とか、口元とか」
和則が画面に顔を寄せ、確かめた。
「うんうん、老けてるけど…、確かに、それっぽい。それに、助さんは別の人だよ」
やがて、トイレから戻った透さんが、
「どうしたんですか?」
と、私の横に座った。
「今、時間差電波が発生しているんです」
「ああ、過去の電波が受信されるっていう、異常現象のことですね」
「ええ、でも、様子がちょっと変…」
私が説明しようとした時、
「ん? 右隅に『アナログ』って書いてあるぞ。何だ、これ?」
画面を誰よりも前で覗き込んでいた和則が、振り向いた。私たちは揃って首を横に振る。しかし、透さんだけは驚いた表情でテレビに近づいた。
「こ、これ、現在の、いや、未来の映像です!」
広間に、透さんの興奮した声が響いた。
「まさか未来って、二〇〇九年の水戸黄門なの?」
忠治兄さんは、信じられない様子で自分の顔を両手でピシャリと叩いた。
「ええ、里見浩太朗主演の、未来の水戸黄門です」
「ほら、やっぱり!」
明代姉さんは小躍りしながら手を叩き、私たちは黄門様の顔に集中した。まさかと思ったけれど、言われてみれば確かにそうだ。画面いっぱいで、金色のヒゲを生やした助さんが、『ハッハッハッ』と笑っている。
「未来の映像が映るなんて、初めてだよな!」
和則は右手で画面に触れ、テレビには何も仕掛けが無いのを確かめた。確かに、今まで時間差電波で受信されたのは、数年前の電波ばかり。未来の映像は一度も受信されたことがない。この前の二つの虹といい、今までに無かった現象が、この夏は立て続けに起きている。いったい、どうしたのだろう。みんなは、未来の黄門様に興奮している。しかし私は、この現象に、なぜか後味の悪さを感じるような嫌悪感を、わずかに抱いた。それとも、またいつもの気のせいなのだろうか。
ほどなくして元信が、
「はぁー、助さんが出世して黄門様になるなんて、二十一世紀って、凄いなあ」
いかにも偉そうな態度で感心すると、また画像がわずかに歪み、コマーシャルに切り替わった。
「あっ!」
とたんに透さんの表情が強ばった。その映像にみんなは釘付けになった。私も、たったいま抱いた嫌悪感が、たちまちどこかへ吹っ飛んだ。薄い大型のテレビ画面の中から、サッカーボールが飛び出し、『3Dテレビ、ついに誕生』と言っている。歓迎会の時に透さんから壁掛けタイプのテレビのことを聞いてはいたけれど、聞くのと見るのとでは、驚きの度合いが全然違う。まさか物が飛び出すとは、未来のテレビは、なんて凄いことになっているの!? あまりの進化ぶりに、私たちの口は、餌をねだる鯉状態。
息をつく間もなく、別のコマーシャルに切り替わった。奇妙なロックのような演奏に乗せて、様々な映像がめまぐるしく回転し、板のような機械が登場した。続けて、男の人がそれを指で操作しながら『スマートフォン、新発売』と言っている。
「スマートフォンって?」
我に返って、私は透さんに尋ねた。
「ケータイです。しかも、これよりも進化した、次世代型のケータイです」
透さんは顔を強ばらせたまま、ズボンのポケットから、例のケータイを取り出した。みんな揃ってテレビ画面と透さんのケータイを見比べる。だけど、見た目はほとんど変わらない。誰一人、その違いを理解できないでいる。すると、博己先輩が重大な事に気づいた。
「もしかしてこのコマージャルは、二〇〇九年よりも先の未来のものだっていうんですか?」
透さんはゆっくりとうなずき、
「おそらく、二〇〇九年の八月から、二年以内の映像だと思います」
ケータイをポケットに仕舞いながら言った。
「確か透さんは、二〇〇九年の七月からタイムスリップしてきたんですよね。なのに何で、未来の映像だって解るんですか?」
克子姉さんが尋ねた。確かに、透さんが二〇〇九年の七月からタイムスリップしてきたのなら、それ以降の未来のことを知っているはずがない。
「つまり、二〇〇九年の七月の時点で、今流れた3Dテレビや、新しいスマートフォンは、まだ発売されていなかったんです。3Dテレビなんて、まだまだ先のことだと言われていた。だからこの映像は、二〇〇九年の七月よりも未来のものであることは間違いない」
「でも、それでどうして、二年以内って言えるんですか?」
メガネのずれを直しながら、博己先輩は詰め寄った。
「この、上下の黒帯と『アナログ』の文字で推測できます。アナログ放送が終了し、地デジに完全移行するのが、二〇十一年の七月だから。つまり…」
「透さん、ちょっと待って。アナログとかチデジとか、私たちにはさっぱり…、ねえ由美」
「うん。いったい何のことなんですか?」
混乱しそうになったのか、たまらず、光子と由美が尋ねた。透さんの説明をじっと聞いていた私も、実はほぼ混乱しかけている。
「あ、ごめんない、僕もちょっと興奮しちゃって…。アナログと地デジというのは、テレビ放送の方式のことなんです。アナログが古い方式で、地デジが新しい方式。実は、今まで使われていたアナログ方式が、二〇十一年の七月以降、地デジ方式に全て替わってしまうんです。そうなると、古い型のテレビでは、地デジ方式の電波を受信できず、何も写らなくなってしまう」
「えーっ!?」
「テレビが映らなくなっちゃったら、困るーっ」
おそらく、とっくに混乱していた和則と元信は、頭をかかえた。
「バカ、透さんが言ってるのは、未来のことでしょうに」
「そうそう、バカは黙ってなさい」
と、私と明代姉さんから釘を刺され、
「はいはい」
「黙ってますよ」
二人は間抜けな顔で舌を出す。その横で清行兄さんが手を挙げた。
「ということは、今映っているのは、アナログ方式ってことなんだね」
「そうなんです。視聴者が混乱しないように、政府とテレビ局は、何年も前から、もうすぐアナログ放送が終了することを知らせている。その目印が、この黒帯なんですよ。つまり、この黒帯が映っている間は、まだアナログ方式が終了していないことになるわけです」
「なるほど、だから、この映像は二〇十一年の七月より前ってことなのか」
「そうです」
清行兄さんと博己先輩は、大いに納得した様子で腕組みをする。私たちも、混乱しそうになった頭をなんとか整理し、
「なるほど」
と、うなずいた。
「ねえ、博己先輩」
由美が、首をわずかに傾け、
「確か高井和先生の仮説だと、時間差電波の時って、後ろから流れてくる過去の電波が、私たちの時間に追いついて発生するんだよね。未来の電波の場合は、Uターンして発生してるってことなの?」
と、尋ねた。
「僕も今、ちょうどそのことを考えていたんだけど、うーん、高井和先生の仮説では、電波がUターンするなんてこと、ありえないなずなんだ…」
どんな質問にも明確に答えてみせる博己先輩が、答えられずに困っている。メガネのフレームを押さえながら、先輩はうつむいた。と、その時、透さんのポケットから、聞き慣れないメロディーが溢れ出した。
「わっ!?」
思わず腰を浮かし、透さんが、ケータイを再び取り出す。その一部が、鮮やかな青色を発光させている。
「動いた…」
和則が思わず呟いた。ゲストが持ってきた機械は、この村では動いたことがない。今までに無かった現象が、また一つ、増えた。
透さんは、戸惑いながらケータイを耳にあてた。
「もしもし…片岡? 本当に片岡なの?」
私たちは驚いて顔を見合わせた。どうやら、透さんの知り合いの人から電話がかかっているようだ。ということは、やっぱり未来から電波が届いていることになる。
「あ、ああ、久しぶり。今、ちょっと説明しづらいところに居るんだ。うん、…えっ? 何慌ててるの。…ジシュ? いったい何の事だよ」
その様子から、未来で何か異変があったことを感じ、私は無意識のうちに拳を握りしめていた。透さんは一旦、ケータイを耳から離して立ち上がり、
「すいません、ちょっと表で話してきます」
と、急いで外へ出て行った。
「今、ジシュって言ったよね」
「うん」
「ジシュってなんだ?」
「解らん」
「警察へ自首する、の、ジシュじゃないよなあ」
「まさかぁ」
男子たちがヒソヒソと言い合った。妙な胸騒ぎを感じる。次第に得体の知れない不安が心を覆う。きっと気のせいだと念じ、私はそれを懸命に追い払おうとした。
蛍光灯が激しく点滅して、三たびテレビの画面が歪んだ。今度はニュースらしき番組に切り替わり、アナウンサーが原稿を読み始めた。みんながまず驚いたのは、そのアナウンサーだった。
「お、女の人が、ニュースやってる!」
和則の声が裏返った。アナウンサーは男の人だと決まっている。そんな私たちの常識が、今、目の前で覆っている。立て続けに、今度はニュースの内容に、私たちは驚かされた。
『サッカー日本代表チームの試合が数時間後に迫り、全国の応援会場に、サポーターたちが続々と集結しているようです』
画面に、青いシャツで染まった、たくさんの人たちが群がる様子が映し出された。『ニッポン! ニッポン!』と、大騒ぎしている。
「な、何事だ!?」
「なんで、サッカーの試合ごときで、こんなに大騒ぎしてるんだ?」
清行兄さんと忠治兄さんは、唖然となった。
「野球世界大会の、間違いじゃないの?」
「でも、画面に『サッカー』って書いてあるぞ」
男子たちは、とたんに『ジシュ』から『サッカー』の話題へと切り替えた。女子たちは別の事で騒然となった。最初に気がついたのは克子姉さんだった。
「茶色いっ!」
大騒ぎしてる女の人のほとんどが、髪の色が茶色く染まっていた。
「いったい未来で、何があったっていうの?」
「黒い髪は、流行遅れになってるのかも…」
「たぶん、女尊男卑の社会になっているのよ! 女の人がニュースを読んでいるのも、髪を染めているのも、男子より立場が上だからじゃない?」
「きっと、イケイケのお姉さんの世代が、革命を起こしたんだわ!」
あれこれと、何の根拠も無い憶測を言い合っている。その中で、私はほっと胸をなで下ろした。男子たちにとっては『サッカーの試合で大騒ぎしている』ってことは大事なのかもしれない。女子たちにとって『髪の色が茶色』ってことが、革命的な出来事だってことも解っている。しかし、今の私にしてみれば、どちらともどうでもいいことだ。この村や、透さんに直接悪い影響を及ぼすようなニュースじゃない。だから胸騒ぎも、治まったように感じた。しかしその思いは、つかの間で終わってしまった。
『只今入ったニュースです』
アナウンサーの顔が険しくなり、私の鼓動は不規則に乱れた。
『昨年起きた、キャラクター制作会社爆破事件の実行犯とみられる容疑者の男が、都内のネットカフェの監視カメラで確認された模様です』
わずかにピンぼけ気味の、しかし、容疑者の姿がはっきりと確認できる映像が映った。その瞬間、私は今までに経験した事が無いほどの衝撃を受けた。きっとみんなも同じだったに違いない。だいぶ伸びてはいるけれど、ぼさぼさの髪と無精髭、黒の野球帽にしなびたシャツ、青白い顔色に痩けた頬。その容姿は何もかもが、初めてこの村にやって来た時の透さん、そのものだったからだ。
『爆破物の破片から検出された指紋と、この男が利用していたネットカフェのパソコンから検出された指紋が、一致したとのことです。男が提示した身分証明書が偽造であることに気がついたネットカフェの店長が、警察に通報して解ったものですが、男はすでに行方がわからなくなっており、警察は特別体制で男の行方を追っています…』
アナウンサーの声が淡々と流れる中、私たちは言葉を失い、容疑者の映像を見つめた。
「消して!」
耳を塞いで明代姉さんが叫んだ。清行兄さんが慌ててスイッチに手を伸ばす。しかし、後ろで何かが畳に落ちる音がして、その手が止まった。
「透さん…」
振り向いた克子姉さんが、言葉を詰まらせた。血の気が引いた青ざめた顔でテレビ画面を見つめ、そこに透さんが立っていた。
誰もが何を言って良いのか解らなかった。不快指数が跳ね上がるような沈黙が続き、アナウンサーの声だけが広間に響いた。やがて、透さんがガックリと膝を落とすと、その足元に転がったケータイの光が、次第に弱くなって消えた。同じタイミングで、テレビの画面からも、未来の映像がゆっくりと消えていった。
第二十話へつづく…
1975年8月18日 20:45