© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
第五話 お風呂の後だと大変らしい。その一
「お風呂、後で入るね」
台所で洗い物をしながら、お気に入りの歌を鼻で奏でている母に、私は背中越しに声をかけた。
「あら、どうして」
振り向いたその顔は、予想通り、機嫌が良い時のものだった。
「これからちょっと、ギターの練習するから」
「はいはい、どーぞ。でも、遅くならないうちに入りなさい」
「はーい」
「それから、ギター、あんまりうるさくジャンジャカしないでよ」
「大丈夫、ジャンジャカなんて弾き方、しないから」
普段ならこうはいかない。「何言ってるの! 早く入りなさい!」なんてことを言われる。だから、母に何かお願いごとをするときは、鼻歌が聞こえた時に限る。レパートリーは二曲。中条きよしの『うそ』と、細川たかしの『心のこり』。今日は『心のこり』を軽快に奏でている。
とはいえ、こんな時の母は人の話を半分も聞いていないから、どんなお願いでも却下されることはほとんどない。だけど度が過ぎると、後々、「そんなの聞いてないわよ!」なんて事態になっちゃうから、それなりに控えめなお願いごとにしている。
母の機嫌が良い訳は、プロ野球の裏番組が見られるから。晩ご飯を早々に済ませた父に、さっき、誠次郎おじさんから電話で呼び出しがあった。
「ミーティングに行ってくる。ちょっと遅くなるから」
「はいはい、いってらっしゃい」
とたんに母の顔がほころびた。
父たちのミーティングというのは、歓迎会の打ち合わせとか、村に本来の時間が戻った時の対処法を話し合うため、ということになっているが、それは建前。ようするに、野球バカトリオ同士で集まって、巨人を肴にお酒を飲みたいのが本音。場所は誠次郎おじさんの家だと決まっている。母にとって、このミーティングは大歓迎。我が家のテレビは、巨人の試合の時だけは父がチャンネルの主導権を握っているから、母は「野球より、プロレスを見た方がずっとまし」なんて愚痴を普段はこぼしている。別にプロレスファンってわけじゃない。野球が嫌いなだけだから、それ以外の番組なら何だっていいのだ。母がこれほど野球嫌いになったのは、好きな番組が、野球放送のせいで何度も放送中止になったことが、一因らしい。
と、まあそんなわけで、ビール瓶を小脇に抱え、飛び出して行った父を見送りながら、母のご機嫌な『心のこり』の鼻歌が始まったというわけだ。
「れんげぇー、テレビ、何やってるう?」
一人でテレビを見ていたれんげに、母は洗い物を続けながら声をかけた。
「これからババとテツノツメの試合、やるって!」
久しぶりに、れんげもご機嫌そうな声で応えた。
今日もやっぱりゲストに会えず、肩を落として帰って来た。だけど半分あきらめたみたいで、夕食後は、すっかり普段のれんげに戻った。野球よりはプロレス、というのはれんげも同じ。母のように野球が嫌いというわけではないが、いつの間にファンになったのか、このごろやけにプロレスのことに詳しい。だから今日は、お風呂を早めに上がって、さっきから嬉しそうにテレビを占領している。男の子っぽい趣味に、このところ、ますます磨きがかかっている。
「あら、おもしろそうね」
母はそう言って洗い物のスピードを速めると、ふたたび私のほうを振り向いて、
「椎子も見る?」
と、誘った。
「だから、私はギターの練習なんだってば」
「そう?」
「そう!」
やれやれ、やっぱり聞いていない。
私にとっては、ラジオやレコードを聞いていた方がずっとまし。野球だろうがプロレスだろうが、今は何をやっていてもテレビに興味が無い。…と言いたいところだが、本音はちょっと違う。私が野球に興味が無い『ふり』をしているのは、野球に触れたくないから。どうしても、吉澤先輩とのことを思い出してしまう。登校日に先輩の席に座るのと、野球の話で先輩のことを思い出すのでは、焦心度が全然違う。野球の話題に触れると、つい、動揺してしまう。そんな私の気持ちなど知る由もないから、父は、鬱陶しいほどテレビにかじりついて野球を観戦している。それを横目に、私はいつも興味が無い『ふり』をしている。
それはともかく、母が野球に対して露骨に嫌悪感を抱くようになったのには、もう一つの経緯がある。それは、夏休みが繰り返すようになる数ヶ月前の出来事が発端となった。父が突然、新聞広告を指差し、ビデオテレビというものを買おうと言い出した。「好きな番組が、何度でも見られる優れものらしいぞ! 三十万だけど、月賦だとなんとかなる!」と、興奮した様子で母を説得しようとしたが、父の魂胆が、巨人の試合を繰り返して見ることだと察した母は「思い出は心で見るものなの! そんな高価なもの、必要ないでしょ!」と、一蹴した。で、「それより、テレビを買い替えたほうがましよ!」という強引な意見で、それまでポンコツだった我が家のテレビは、クイントリックスという最新式のテレビに替わることになった。そのかわり母は、半べそをかきそうになってた父に、巨人の試合が放送される時間だけは、チャンネルの主導権を与えるという情けをかけることになったのだ。皮肉なことに、夏休みが繰り返すようになって、買い替えたばかりのテレビで、同じ番組を何度も見るハメになってしまった。「まったく、計算外だったわ」と、巨人の試合が放送されるたびにため息をつき、母は複雑な表情を浮かべている。
清行兄さんから教わった通り、6弦から順にチューニングをしていく。普通よりも太めの弦らしいけれど、1弦がやけに細く感じる。キリキリと音が聞こえてきそうだ。弦が切れたら、次の夏休みまで弾けなくなるから、慎重に糸巻きのペグをひねっていく。
「ふう、オッケー」
無事に1弦のチューニングを終え、ほっと息をつく。次に、ギターコード集を見ながら、Gのコードを押さえてみる。ちょっと小指が押さえにくいけど、Fよりは簡単。右手の親指で、6弦から1弦までをゆっくりとつま弾いていく。震える弦から心地好い音がはじけ、部屋中を満たす。
清行兄さんが、フォークソング部のために無期限で貸してくれたモーリスのフォークギター。一昨日から、リードギター担当の私専用となっている。母は、私がギターを抱えて帰って来たのを見て「リコーダーもろくに吹けなかった椎子が、ギター? 」と、ちょっとけげんそうな顔をしていた。私の音楽的センスの無さは、どうやらとっくに見抜かれていたっていうのは歯痒かったが、母のその態度は、かえって私のやる気に火を付けた。
太めの弦だけあって、かなり力を加えて押さえないと音がかすれる。もしも、お風呂上がりだったら、ふやけた指先に弦が食い込んで、痛い目に遭っていたところだった。前もって清行兄さんから、夜に練習する時は、お風呂を入る前が良いと教えてもらっていたから、助かった。
Gの次はA、その次はC、次はD、さらにEマイナー、Aマイナー、Dマイナー、比較的簡単なコードを一通り弾き流す。当たり前のことだけど、違うコードを弾くたびに、違う和音が響く。そこにいちいち感動してしまう。しばらくのあいだ、そんなふうにコードの練習をした後、私は本題に取りかかった。ギターを抱えたまま、カセットで例の曲を聞く。練習曲、NSPの『さようなら』のコード進行を解明するのだ。
淋しそうな曲は、マイナーコードで始まるものが多いらしい。イントロだけを再生し、まずはAマイナーで試してみる。…音が合わない。カセットを巻き戻し、もう一度再生。今度はEマイナーで弾いてみる。音が合うまで、そうやって何度も繰り返す。音楽が得意な人だと、曲を一回聞いただけで、簡単にコード進行が分かるんだろう。音楽的センスの無い私は、そうはいかない。実は昨日、清行兄さんに解明してもらったほうが速いなと、安易な気持ちで相談に行った。そしたら、
「コード進行? そんな器用なこと、俺にできる訳がない」
と、首をあっさり横に振られてしまった。パート分けのアドバイスもしてくれたし、有名なモーリスのギターを持ってたぐらいだから、当然、ギターが上手いのかと思ったら、まともに弾けるのは『禁じられた遊び』の数小節と、陽水の『心もよう』のイントロだけだそうで、「格好付けで買っちゃったもんだから、夢中になったのは最初のちょこっとだけ。ぜんぜん練習してないから」らしい。それでも、基礎のいくらかは覚えているからって、チューニングの仕方と、人差し指で全部の弦を押さえるコツ、それから、コードの読み方と、スリーフィンガーという弾き方のコツを教えてもらったのは大収穫だった。
その後、対策を講じようと由美と光子に電話をかけたら、二人とも、私以上に音楽のセンスが無いから任せる、って言い張る始末。しかたがないから、自力で解明するしかないと思った私は、カセットで曲を聞きながら、片っ端からコードを弾いてみて、音が合うものを探し出そうと考えた。悲しいほど地道な方法ではあるけれど、コード進行さえ解れば、演奏の第一歩が踏み出せる。がんばって、地道に解明するしかない。と、思っていたら、
「あ、これだ!」
最初のコードを、あっけなく四回目の繰り返しで探し当てた。Gマイナーだ。
1975年7月26日 20:09