© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
第十九話 その顔に衝撃を受ける。その一
ギターを抱え、台所から持って来た椅子に座ったとたん、ピックガードに反射した公民館の蛍光灯が、瞬きをした。
「あら? 切れかかってるのかしら」
透さんの隣に座っていた明代姉さんが、見上げながら首を傾げた。足の短いテーブルをはさんで、向かいに座っていた青年団の忠治兄さんが立ち上がり、蛍光灯を覗き込む。つられて、隣の和則と、その隣の元信が立ち上がる。しかし、何事もなかったかのように、灯りはみんなの顔を照らしている。
「大丈夫…みたいだな、うん」
忠治兄さんが腰を下ろして膝を打つ。和則と元信も、同じ仕草で続く。とたんにみんなの視線が、蛍光灯から私たちフォークソング部へと向き直った。緊張気味に小さく咳払いを一つして、私は光子に目で合図を送った。二人同時に糸巻きのペグを摘み、6弦を二度、三度と弾いて音を確かめ合う。微妙にずれている。ペグを調整しながら、不協和音を徐々に心地よい響きへと同調させていく。やがて、光子と私が指でOKのサインを出し合うと、真ん中で立って様子を伺っていた由美が、みんなに向かって一礼した。
「では、『さようなら』という唄を唄います」
ワンテンポ置いて、
「よっ、待ってました!」
と、和則が囃し立てた。他の七人の観客たちが、たちまち大げさな拍手を贈る。
「ワン、ツー、スリー、フォー」
由美の合図で、スリーフィンガーを奏でる。光子と私のほぼ完璧なイントロに、清行兄さんが「おっ」と、声を上げた。緊張気味だった鼓動が、わくわくとした鼓動に変わっていく。ネックを押さえる自分の指を見ながら、私は客席の驚く気配を感じた。やがて由美の穏やかな美声が十二畳の広間に響き始めると、その気配はさらに大きくなった。
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青年団二人の提案で、急遽、公民館でソフトボールの打ち上げ会をすることになった。メンバーは十一人。清行兄さんと忠治兄さん、明代姉さんと克子姉さん、それに私たち中学生の六人、そして透さん。ようするに打ち上げ会というのは建前で、若者同士で宴会を開き、透さんに息抜きをしてもらおうというのが青年団の狙い。だから、ちょっと可哀想だけど、悪ガキたちにはナイショの集まり。
最初は、青年団と透さんの三人だけでお酒を飲む予定だったらしいけれど、透さんがそんなにお酒が好きではないことが解り、おまけに、男三人で宴会するには淋しすぎるから、ということで、私たち学生にも声がかかり、お酒抜きでパーティを開こうということになった。声がかかったのが午後五時半。場所は公民館で時間は午後七時に集合。歓迎会のようなご馳走を用意する時間はなかったし、おかずの残り物やらお菓子をみんなで少しずつ持ち寄ろうという、お粗末な宴会。とてもパーティと呼べるような小洒落たものになりそうにない。そこで清行兄さんが「何か演奏して盛り上げてよ」と、前もって私たちフォークソング部にお達しが下った。
レパートリーはまだ二曲だけだし、一つは別れの唄だからと念を押したのだけど、何も無いよりは断然盛り上がるからって、半ば強制的にギターを持ってこさせた。まあ、ちょうどノーミスで演奏出来るようになったし、宴会の人数も少ないから、練習ついでに披露しちゃおうか、と、私たちもつい、その気になった。
七時十分に宴会は始まり、まずは麦茶で乾杯し、有り合わせの料理を摘みながら、みんなでソフトボールの試合を振り返り、八時頃まで透さんの最終打席の話題で盛り上がった。その後、「よーし、ぼちぼちコンサートタイムといこう」と、清行兄さんが促し、私たちの小さなコンサートが始まったわけだ。
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一番の歌詞を由美が唄い終わる頃には、観客たちはシンとなって、聞き入ってくれている様子が伝わってきた。手応えを感じ、コードを押さえる指に思わず力が入った。最後のサビの部分へ突入すると、私はスリーフィンガーを光子と同じストロークの弾き方に切り替え、曲調を激しくさせた。歌詞の「さようなら」を何度も繰り返し、由美の声量が次第に増していく。やがて最終小節に入ると、由美の声は再び穏やかに変わる。それに合わせて、ギターはイントロと同じ弾き方に戻す。ラストは私たちのアレンジ。右手で全ての弦の振動を押さえ、二人揃って演奏をピタリと止める。由美がラストの歌詞を静かに唄い、切なさを強調する。最後に私と光子がGマイナーをゆっくりと弾き流す…。
弦の音が消えるを待って、三人揃ってお辞儀した。大きな拍手が起こった。大げさではないのが解った。みんなびっくりしている。透さんも一番大きな拍手をしてくれている。照れながら、私たちは顔を見合わせた。由美と光子の顔がほころんでいる。自分でも驚くほどの完璧な演奏に感激し、私の顔もほころんだ。
「お前ら、凄じゃないか!」
「いつの間に演奏できるようになったんだよ?」
和則と元信は目を丸くし、
「とっても良かったわよ!」
「うん、素敵!」
と、克子姉さんと明代姉さんが感動した。
「あ、あの、もう一曲お願いします」
控えめに、透さんが手を挙げると、清行兄さんと忠治兄さんが同時に声を上げた。
「リクエスト!!」
再び私たちは顔を見合わせ、
「じゃあ…」
と、続けて『あせ』を演奏することになった。
「ワンツースリーフォー」
由美が早口で合図を送り、光子と同時にコードを弾き鳴らす。私がスリーフィンガーで、光子がストロークなのは同じだけど、『さようなら』と違って、今度はテンポが速くて軽快な曲。由美が肩を揺らしながら唄い始めると、自然と観客たちがリズムに乗って手拍子を始めた。練習でまだ一回しか合わせた事がない、私と光子のバックコーラスも、ばっちりとタイミングが合っている。『つぶつぶのしょっぱいあせ』を拭うほど、広間は熱気で包まれている。なのに、演奏に夢中になって、暑さはほとんど感じない。弦を弾く指たちが、今日はとてもスムーズに動いてくれている。
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「いやー、良かった、良かった」
盛大な拍手の後に、清行兄さんが満足そうにうなずいた。ギターを椅子の上に残し、フォークソング部三人揃って、元の席に着く。とたんに暑さを感じ、汗が噴き出す。
ミニコンサートが終わり、宴会のおしゃべりタイムが再開すると、ほどなくして、透さんが明代姉さんに何やら話しかけた。明代姉さんはスッと立ち上がり、透さんの腕を取って、広間横の廊下近くへ導き、
「トイレ、この廊下の突き当たりです。スイッチは扉の左横に付いてますから」
と、丁寧に説明した。その様子をそっと見ていたのは、私と克子姉さんだけだった。みんな、構わずにおしゃべりを続けている。「本当はヒットを打ってもらいたくて、あのボール、投げたんでしょ」…克子姉さんが明代姉さんに囁いた言葉を思い返しながら、私は思った。明代姉さんは、やっぱり、透さんのことが好きなのだろうか、と。
にこやかな表情で席に戻った明代姉さんは、暑いのか、手で胸元を扇ぎながら、飲み残していた麦茶をいっきに飲んだ。空になったコップに、克子姉さんが、すかさず麦茶ポットを傾ける。
「まだ飲む?」
「うん、ありがとう」
満面の笑みを返す明代姉さんを見て、克子姉さんは苦笑いしながら小さなため息をついた。
「なあ克子、そうだろ?」
突然、何やら清行兄さんと言い合っていた忠治兄さんが、話しをふった。はっとなって、克子姉さんは顔を上げる。
「えっ? 何?」
「なんだ、聞いてなかったのか?」
「ご、ごめんない。ちょっと、ぼーっとしちゃってた…」
「しょーがないなあ。だからぁ、オレが小四の時、一年生になったばかりのお前がさあ…」
と、忠治兄さんが言いかけた時、再び、蛍光灯が瞬きを始めた。今度は継続的に点滅している。
「あっ、これ、時間差電波!」
これまで比較的大人しくしていた博己先輩が、声を上げた。
「確かに、それっぽい」
蛍光灯を見ながら、和則がうなずく。すると忠治兄さんは、何事も無かったかのように、広間の隅に押しやっていたテレビの前へ四つん這いで近づいた。途中で話しの腰を折られてしまったことなど、まったく気にしていない。
「スイッチ、オン!」
ふざけながら、スイッチの摘みをひねった。時間差電波は、テレビかラジオで確認できる。過去の電波が届くからだ。私たちはおしゃべりを止め、注目した。過去の番組は懐かしさを感じて、意外に楽しい。毎回、同じ番組を見続けている私たちにとって、時間差電波は楽しみのひとつ。だから、みんなちょっぴりわくわくしている。
映像は、数秒経って現れた。しかし、映りが悪い。公民館のテレビは一応カラーだけど、雅一おじさんが寄贈した中古のテレビで、型がだいぶ古い。忠治兄さんは、今度はチャンネルを一通りひねって確かめた。他のチャンネルも、砂嵐の中で何かが動いている。「こらっ」と、子供を叱るように、忠治兄さんがテレビの横をペシリと叩くと、不思議に蛍光灯が瞬きを止め、砂嵐の映像がぐにゃりと歪んだ。
「お、映った!」
次第に画面が鮮明になっていく。
「何やってる?」
清行兄さんが聞いた。
「このチャンネル、水戸黄門のはずだけど…、ああ、やってる! 確かに時間差電波のようだ。今の水戸黄門と違うみたい」
「何年前?」
今度は和則が聞いた。不規則に発生する気まぐれな時間差電波は、何年前の電波が届くかは、発生してみないと解らない。しかし、決まって曜日だけは一致している。
「うーん」
画面を隅から隅までチェックし、忠治兄さんは答えを探っている。
「やっぱり、今やってるやつだったりして」
「そうだったら残念すぎるー」
和則と元信が、わざと顔をしかめる。
「うーんと……、あれ?」
なぜかきょとんとした顔で、忠治兄さんは振り返った。そのまま画面を指差し、
「違う…」
と首を横に振り、私たちに画面が見えるように後ろに下がった。
1975年8月18日 20:05