© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
第九話 仰天させることに、長けている。その三
壇上に上がった透さんは、お酒が弱いのか、それともだいぶ飲んだのか、すでに顔が赤らんでいた。だけど、酔っぱらっているようではなかった。足取りはしっかりしていた。村長代理にマイクを渡され、わずかに緊張した様子だったけれど、息を一つついて、すぐに落ち着いたように見えた。そして、うつむきがちの人とは思えないほど滑らかな口調で、
「特に電化製品のことなら、何でも聞いて下さい」
と、切り出した。
独身の透さんが電化製品に詳しいのは、大きな電気屋さんの売り場で、いろんな製品を見て回るのが趣味の一つらしい。さすがに大都会に住んでいる人は、趣味が違うと、何人かが感心した。
最初に質問したのは美月おばさんだった。だっこした愛娘の彩香ちゃんをあやしながら、「未来の冷蔵庫や洗濯機はどうなってますか?」という質問をした。これまでのゲストにも、何人かが同じ質問をしたことがあった。イケイケのお姉さんの時は、冷蔵庫は容量が若干大きくなり、洗濯機は二層式から一層式の全自動に替わったと言っていた。だけど、それほど驚くような進化をしているわけではなかったから、母たちは「便利になってるのね」と、わずかに感心した程度だった。ところが、透さんの語った未来の冷蔵庫と洗濯機は、驚異の進化を遂げていた。
冷凍室、製氷室、冷蔵室、野菜室と、四つに分かれた二十一世紀の冷蔵庫は、そのスケールの大きさに、まずは驚かされた。高さが一八〇センチを越える大容量で、いくつにも仕切られた冷蔵室は観音開き、野菜室は大根が丸ごと十本くらいは入っちゃうというし、冷凍室と製氷室が別々の引き出しだっていうのも凄い。さらに驚くべきことに、今の時代の冷蔵庫をひっくり返した配置で、冷蔵室が上、冷凍室が一番下にあるという。逆さまの意図が分からず、みんなしばらく唖然としていたけれど、冷凍室や野菜室は、冷蔵室よりも出し入れが多いから、上にあったほうが、楽な姿勢で使用できると聞かされ、とたんに母たちがざわめきだした。麦茶ポットや野菜を取り出す時に、わざわざしゃがまずにすむっていうのは、私たちにとっては画期的なことだ。それまで、愛想笑い気味で接していたおばさんたちの関心度は、ここで一気に高まった。洗濯機の話では、さらに騒然となった。洗濯槽も扉も、横についたドラム式という洗濯機は、もちろん全自動で、なんと乾燥までやってのけ、衣類のシワを巧みにのばしてくれるらしい。しかも、製品によっては、水や洗剤をまったく使わず、靴や鞄を洗うことが出来るというから凄い。
ついでに話してくれたテレビの話では、おじさんたちまで食い付いた。障子を横にしたような大画面テレビは、厚さがたったの数センチ足らずの壁掛けタイプのもので、写真のようなきめ細やかな映像で、女優の目尻のシワまで鮮明に映し出すという。おまけに、番組表が表示されるから、新聞のテレビ欄を見ないで済むっていうし、出演者の情報や、お得な品物の情報、さらに、ニュースや天気予報など、さまざまな情報が、一つの画面に表示される仕組みになっているらしい。これを聞いた父は、口を大きく開けて驚いた。夏休みが繰り返す前、新型テレビのクイントリックスに買い替えた時、ほんのちょっと進化した程度で鼻を高くしていた父を思い出し、私は恥ずかしくなってしまった。
その後、立て続けに浴びせられる質問に、透さんは軽快に答えていった。謝ってばかりの透さんとは、まったく別人のようだった。二十一世紀の話は、どれも驚くことばかりで、次々と飛び出す未来の話に、私たちは大いに湧いた。「リニアモーターカーは走っていますか?」という質問をした元信と和則は、まだ実現していない…という答えが返って来て、一度は肩を落としたものの、ようやく実用化のめどがつき、二〇二五年の開業に向けて、ルートを検討している最中だという話しに、二人揃ってガッツポーズを決めてみせた。さらに追加してくれた新幹線の話しでは、二人や悪ガキたちといっしょに、元ジイや富美蔵おじさんまで手を叩いて喜んだ。青い鼻の新幹線から、世代交代した優雅な形をした新型の新幹線が、日本中を走っているらしい。
諦めがちに「宇宙旅行は、できますか?」という寛太の質問に、透さんは「残念ながら、火星には人類は行ってはいないけど…」と、前置きした後、そのかわりに、国際宇宙ステーションが完成し、各国の宇宙飛行士たちに混じって、日本の宇宙飛行士が仕事をしている、と言ったものだから、寛太は感激のあまり、大粒の涙をこぼして喜んだ。
「ケータイのこと、みんなにも話してあげて!」という明代姉さんのリクエストに快く応じた透さんは、私たちの時と同じように、ケータイを披露しながら説明した。案の定、みんなの反応は、ほとんどの人たちが狐につままれたような表情をしていた。
さらに続けてくれた、ケータイよりももっと凄い話には、博己先輩と高井和先生が身を乗り出した。パソコンというものは、電話回線を進化させたようなインターネットというものを介して、世界中の人々と、ケータイよりも高度な情報のやり取りを、瞬時に送受信させるらしい。たとえば、地球の裏側の人と、テレビ電話の機能で会議が出来るそうだ。なんだかとっても凄いってことは分かったけれど、さすがにこの話、機械音痴の私には、ほとんどイメージできず、理解するのを諦めた。ケータイの機能だって、解ったつもりでいるけれど、大半は理解していないままだし、いつかのゲストが、ファックスというものを話してくれた時、どうして電話回線で手紙のやり取りが出来るのか、未だに理解できずにいるくらいだから、さらに未来のものをイメージするなんて、無理! と、開き直った。
とにかく、そんなふうに透さんが質問に答えるたびに、ため息と感嘆の声をこぼし、私たちの盛り上がりは、会場内の熱気をぐんぐん上昇させた。そして、この日、最大級に盛り上がったのは、意外にも、野球バカトリオの質問だった。
「巨人、どうなってる?」
いつも最後に出る、毎回同じ質問。実行委員会の特権だからって、歓迎会が初めて行われた時から質問し続けている。野球のことに触れたくはない私は、この質問が出ると、いつもため息をつきそうになる。露骨に耳を塞ぐわけにもいかないから、この時は平静さを装い、右の耳から左の耳へ素通りさせている。
彼らの質問は、最初の頃は真っ先にしていたけれど、野球なんか全く興味の無い女性のゲストへ、強引に質問したことがあった。その時は早々にゲストを困惑させ、みんなからひんしゅくを買ってしまった。以来、野球バカトリオの質問は、後回しになった。
いつもはこの質問で、せっかくの盛り上がりも、大抵はしぼんでしまう。だけど、今回は違った。
「巨人?」
「二十一世紀の巨人が、どうなってるのか教えて!」
熱狂的な巨人ファンの誠次郎おじさんは、そこそこの巨人ファンの父と村長代理を従え、懇願するように手のひらを合わせた。
「巨人って、プロ野球の巨人…ですか?」
「うん。だって、詳しいでしょ、野球帽かぶっているくらいだから」
「あ、これは、その…」
「プロ野球の帽子でしょ」
「え、ええ、まあプロには違いないですけど…」
透さんは帽子を右手で取り、つばの上のマークに視線を落とした。これまで、私たちの盛り上がりに合わせるように、好調に質問に答えていた透さんだけど、せっかくの楽しい雰囲気に水を差す質問に、やはり、困惑した表情を浮かべた。
「そういえば、見たことが無いマークだね。もしかして、スワローズの新しいマーク? それとも、パリーグで新しいチームが出来たのかい?」
村長代理が口を挟んだ。すると、
「い、いえ、これは、大リーグのチームのマークなんです」
透さんから、思いがけない言葉が返って来たようで、
「大リーグ!?」
と、今度は野球バカトリオが困惑した。
「僕の好きな選手のいるチームなんです」
野球帽を持ったままの手で、透さんは頭を掻いた。ふと、その仕草が、吉澤先輩に似ていると思った。顔は全然違うのに。話を聞き流そうとしていた努力の甲斐もなく、『好きな選手のいるチーム』というフレーズが、私の耳の奥まで響いてしまっていた。封印していた切なさが飛び出してきそうで、頭の中のイメージを、私は必死に振り払った。
「だ、大リーグに詳しいのかい!?」
驚いた父が聞いた。
「詳しいってほどではないです。日本人大リーガーが活躍するのを見て、興味を持った、よくいるニワカファンの一人です…」
「日本人大リーガーって…、大リーグの選手に、日本人がいるっていうの!?」
信じられない様子で村長代理が詰め寄った。
「は、はい。いろんなチームに、十数人くらいいます」
「なな、なんですってぇーっ!!!!」
父と村長代理の声が裏返り、他のおじさんたちや、男子たちまでざわめき出した。
それが、野球バカトリオにとっては夢のようなことらしいってことは、私にもなんとなく解った。音楽に置き換えれば、ビルボードのヒットチャートに、陽水の曲がベストテン入りするようなものなんだろう。母たちでさえ、…解っているのかどうかは微妙だけれど、隣同士で、
「凄いわねえ!」
と、顔を見合わせた。だけど誠次郎おじさんは、悲観的な表情を浮かべ、
「もしかして、わしらに気を遣って、ウソを言ってるんじゃないの?」
と、疑った。さらに、
「もしも巨人の成績が悪いのを、ごまかすつもりで言っているんだったら、気遣いは無用だから。頼むよ、本当のことを言ってくれ! 潔く事実は受け入れるから!」
透さんに涙目で訴えた。誠次郎おじさんは、結果を聞く前から、未来の巨人が負け続けているって決めてかかっている。こんな感じだから、質問コーナーの盛り上がりが、いつも尻切れトンボに終わってしまう。
「そえいえば、前に来たゲストが、大リーグに挑戦した江夏のことを言ってたよな。あの大投手でさえ全然歯が立たなくて、メジャーに上がれなかったって」
「言ってた言ってた。確かにそうだよなあ。マンガじゃあるまいし、日本の野球が大リーグに通用するわけがない」
透さんの話に一度は驚いた村長代理と父も、揃って肩を落とした。だけど透さんは、小刻みに首を横に振った。
「ウソじゃないです! 日本人大リーガーは本当にいるんです! それに、日本の野球は、世界に認められているんです! WBCでも二度も優勝したんですから!」
今度は透さんのほうが、必死に訴えかけた。その様子から、デタラメを言っているようには思えなかった。
「WBCって?」
近くで聞いていた、清行兄さんと同い年で、青年団の忠治兄さんが口を挟んだ。忠治兄さんは、男子たちのソフトボールの時、清行兄さんといっしょに、いつも助っ人参加しているから、野球の話が気になるようだ。
息を一つつき、透さんはマイクを握り直した。
「野球の、世界大会です!」
一瞬、シンとして回りの空気が固まったように感じた。
「せ、世界大会!?」
次第に、あちこちの席から、おじさんたちの驚く声が上がった。話がよほど突飛すぎたのか、野球バカトリオたちは、ポカンと口を開けたままでいた。
「その世界大会、もっと詳しく聞かせて!」
離れた席から清行兄さんが声を上げた。
野球バカトリオが正気を取り戻したのは、透さんが世界大会のことを語りだして、しばらくたってからだった。かれらにとって、透さんの話は、それほど非現実的だったのだろう。だけど、野球に興味の無い女性陣でさえ、その驚きは同じだった。私たちは透さんの話に、いつのまにかすっかり引き込まれてしまっていた。
二〇〇六年に初めて開催されたという第一回野球世界大会で、日本のプロ野球選手と、大リーグで活躍する日本人大リーガーで編成された日本チームは、各国の強豪チームを次々と打ち破り、見事に初代王者になったという。透さんの語った試合内容は、その緊張感が、ビシビシと伝わってくるものだった。さすがにラジオのアナウンサーのようにはいかなかったけれど、ちょっとした実況中継のようだった。あんなに野球のことには触れたくなかった私なのに、いつのまにか、活躍する日本チームの選手たちを、吉澤先輩の姿に置き換えて、熱心に話を聞いていた。幸いだったのは、まわりの雰囲気のおかげで、切なさを封印したままでいられたこと。日本チームの活躍に、みんなが歓声を上げた。野球が嫌いな母も、野球よりプロレスが好きなれんげも、そして私も、気がつかないうちに手を叩いて喜んでいた。
三年後の二〇〇九年に行われたという第二回野球世界大会の話では、私たちはさらに感動させられた。連覇は無理だと言われていた日本チームが、野球の本場、アメリカチームをも打ち負かし、その後も立て続けにもの凄い試合で勝ち抜き、決勝戦では、緊迫した試合で、もうちょっとで負けそうになったのを、日本が誇る日本人大リーガーが最後に大活躍し、劇的な勝ち方をして、見事に連覇を成し遂げたという。野球バカトリオは拳を突き上げて喜び、私たちも隣同士で抱き合ったり、両手でタッチしたりと、とにかく、講堂の窓ガラスが振動で音を立てるほど、今までに経験したことが無い大騒ぎだった。
さらに最後の話では、野球バカトリオ、特に誠次郎おじさんにとっては、ハッピーエンドのおまけ付きとなった。第二回の世界大会の日本チームの監督は、なんと、リーグ優勝の連覇に向かって、二〇〇九年シーズンも絶好調の、巨人の監督が務めたという。その名を聞いた誠次郎おじさんは、
「タツノリーッ! タツノリーッ!」
宇宙ステーションの寛太のように、うれし泣きの大粒の涙をボロボロこぼし、何度も何度も叫んで感激していた。父と村長代理も、恥ずかしいくらいの奇妙な動きで小躍りし、誠次郎おじさんの感動を煽っていた。
「透兄ちゃんの話、すっごくおもしろかったねっ!」
れんげが、私に向かってVサインを突き出した。
「うん、最高だったねっ!」
私も笑顔で、Vサインを返した。
「まさか野球の話で、こんなに大騒ぎするなんて思わなかったわ」
母も、福江おばさんと笑顔で話している。まわりでも、思い思いのグループで談笑し、質問コーナーの余韻に浸っている。壇上近くの透さんは、安心したような顔で、村長代理にマイクを渡している。その様子を見て、私はふと、透さんって、みんなを仰天させる天才なのかも、と思った。本人はたぶん気づいていないのだろうけど、透さん、いろんな意味で、みんなを仰天させることに長けている。初日の失神事件、しなびた服装、引き蘢りの最長記録、ケータイの話、これまでのことを思い返し、可笑しくて笑いがこぼれた。
「シーコさん!」
由美が私の側まで来て、声をかけた。後ろで、なぜか光子が目を真っ赤にして、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「シーコさん、聞いて! 光子ったら、感激しすぎちゃって大変なの!」
光子の肩に手を置き、由美が言った。
「あはは、光子、意外と涙もろいのね。確かに感動的な話だったけど、なにも、泣くことはないでしょうに」
私が、わざと呆れた顔をしてみせると、光子は首を横に振った。
「あ、それとも、実は光子も、お父さん譲りの熱狂的な巨人ファンだったりして」
私はもちろん、冗談のつもりで言った。そしたら、
「ううん、違うの…」
途端に光子の目から、涙が溢れ出した。
「うちのお父ちゃん、夏休みが繰り返すようになってから、あんなに…、あんなに喜んだことなかったから。だから…嬉しくって」
と、両手で顔を覆った。「よしよし」と、由美が優しく背中を撫でた。向こうでは、光子のお母さんが、透さんに向かってしきりに頭を下げている。時々、父親の野球バカぶりに、愚痴をこぼしている光子の、素直な思いやりを感じ、私もジンと胸が熱くなった。
「光子、良かったね」
私が肩に触れると、光子は手で顔を覆ったまま、うなずいた。由美ももらい泣きしたのか、涙をにじませている。隣で聞いていたれんげも、後ろへ回り、私の背中に顔を押し当てた。
結局、夕方六時から始まった透さんの歓迎会は、質問コーナーからずっと盛り上がり続け、これまでの記録を更新し、四時間近くにも及ぶ最長の歓迎会となった。いつもの歓迎会は、お祭りの後の寂しさを感じるけれど、今日は違っていた。明かりが消えた講堂を後にしても、みんな、いつまでも余韻に浸っていた。帰り道、母は冷蔵庫のことを、れんげはテレビのことを、父は野球の世界大会のことを、「凄いなあ」と、振り返った。他の家族たちも、同じだった。家路を照らす懐中電灯が、あちこちでいつまでも楽しそうに揺れていた。
1975年8月1日 19:14