© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
今日は週に一度の登校日。いつものように、学校には十分前に到着。六人の生徒のうち、私は大抵三番目に教室に入る。毎回真っ先に登校するのは由美と光子。今日もすでに、二人揃っていつもの窓際の席に着いている。
「おはよう」
「おはよう、シーコさん!」
二人の挨拶は、ハモったようにピタリと揃った。いつものように、私は彼女たちのすぐ後ろ、窓側の、前から三番目の席に着く。椅子を引きながら、机の上、右隅のイニシャルに目を通す。濃いめの鉛筆で書かれた『SY』。席は自由だから、好きなところに座っていいことになっている。だけど、ここは私の席だと決めている。理由は誰にも話したことが無い。由美と光子にも。なのに二人は、ここが私の指定席だってことを、暗黙の了解にしてくれている。この席を避けて、いつも前の席に着いてくれる。そんな由美と光子は幼い時からずっと仲が良い。どこかへ出かける時も、いつもいっしょ。この村に同級生の女子がいない私には、ちょっと羨ましい。そのへんのことを彼女たちも分ってくれているのか、よく三人で遊んでいた幼稚園の時以来、ずっと疎遠気味だったのに、彼女たちが中学に入学してからは、昔のように気さくに接してくれるようになった。夏休みが繰り返すようになって、さらに親しくなった。ふくれもち係の同じメンバーでもあるし、何よりも私一人だったフォークソング部にも入部してくれたのが嬉しい。おかげで、登校日には寂しい思いをせずに過ごせている。
「録音してきたよ」
着席するなり、私は鞄からフォークベスト全集のテープを取り出した。「わあ、聞くのが楽しみ!」…なんて、二人の嬉しそうな反応を期待したのに、なんか様子がおかしい。
「ねえシーコさん、今度のゲスト、二十一世紀から来たって本当?」
由美が不安げに言った。
「うん…」
「ほら、本当でしょ!」
由美の肩を、光子がポンと叩いた。
「えーっ、じゃあ第三次世界大戦が起こるって、やっぱり本当なの?」
両手で顔を塞ぎ、由美は怯えた。
「ち、違う違う!」
私は慌てて首を振った。三日前の大騒ぎ、中学生であの場にいたのは私だけ。二人とも公民館での出来事を見てはいない。やっぱり誠次郎おじさん、あのとんでもない妄想を、光子に喋っちゃったか。実は誠次郎おじさんは光子のお父さん。公民館で相手にされなかったから、きっと娘だけは話を真剣に聞いてくれると思ったんだろう。私の父といい、まったく野球バカトリオたちときたら、あんなにゴロベエ先生に怒られたっていうのに。
「ぜーんぜんそんなことないの。ただの勘違い。野球バ…、いや、お、お父さんたちの勝手な妄想なのよ。あはは」
私は光子に気遣いながら、由美に言った。
誠次郎おじさんが野球バカトリオのメンバーであることは、光子も分っているけれど、公民館での一件を誠次郎おじさん一人の妄想だって言ってしまったら、さすがに彼女がちょっと可愛そうだ。ここは我が父も同罪ってことにしておこう。
「なあんだー、そうだったの」
光子が拍子抜けすると、今度は由美が光子の肩をお返しに叩いた。
「もう、光子ったら、人騒がせなんだから」
「だってお父ちゃん、『光子、良く聞けよ。将来、日本が大変な事に巻き込まれるぞ! 第三次世界大戦が起こるぞ!』って、もの凄ーく真剣な顔して言うんだもん。丸ごと信じちゃったよ」
「私、時間が元通りになっちゃったらどうしようって、真剣に心配しちゃったじゃないのぉー。あー良かったぁー」
心配性の由美は胸を撫で下ろした。
「うちのお父ちゃん、巨人がずっと最下位のままだから、何でもかんでも悪い方に考えちゃうのよ。一昨日も『せっかくのオールスターだっていうのに、巨人の選手だけ、誰一人ヒットを打てない』って、一晩中落ち込んでたんだから。毎回、同じ結果だっていうのにさあ。まったくしょうがないよ、あの野球バカ」
「あはは…」
光子、アンタは偉い! 自分の親のことはしっかり分ってたか。なんか、気を遣ってちょっと損した。
ベルが鳴る数分前に、三年の博己先輩が登校して来ると、続けて同級生の和則と元信が駆け込んで来た。これで中学生六人全員。本来なら、三十人ほどの生徒で賑わっているはずの、三年A組のガランとした教室で、それぞれお気に入りの席に着いて、先生が来るのを待つ。ベルが鳴ってもすぐに先生が教室にやって来るとは限らないから、それまで雑談したり、本を読んだり、居眠りしたり、私たちは適当に時間をつぶす。
開けっ放しの前の扉から、ひんやりとした心地良い風が流れてくる。ふと外に目を向けると、裏山の木々が大きく揺れている。今日はいつもよりも風がある。私は風の通りをもっと良くしようと、少しだけ開いていたガラス窓を横に押しやった。向かい側の一年A組の教室から、小学生たちの声が聞こえてくる。きっと悪ガキたちが騒いでいるのだろう。
登校日は、七月三十一日を除く毎週木曜日、一回の夏休み期間中に計五回ある。中学校の校舎を使って、小学生の登校日も同時に行う。
村を囲む山の麓に、大きなグラウンドを挟んで小学校と中学校が仲よく並んでいる。小学校は鉄筋コンクリート三階建ての立派な校舎。だけど中学校は、昭和初期に建てられた木造のオンボロ校舎。小さな中庭グラウンドを囲むように、平屋の教室がコの字型に並んでいる。かなりガタがきている校舎だから、壁のいたるところに穴が開いている。じつに風通しが良い。
小学校と中学校が、どうしてこうも差がついているのか、理由はよく分らない。近代的な設備ときれいな校舎で過ごした小学生の頃が夢のようだ。とは言っても、高井和先生が名付けた「タイムトラベル域」の境界線が、校舎のど真ん中をまたいでいるから、小学校は半分の教室が使用できない。「タイムトラベル域」内に閉じ込められている私たちは、その外に出られないのだ。境界線を越えたとたんに、一瞬にして越えようとしたところに戻ってしまう。今のところ人体に影響は無いが、しばらく足が宙に浮いたような不思議な感覚に陥るため、ゴロベエ先生の判断で、境界線にはできるだけ近づかないほうが良いということになった。そのため、小学生たちは中学の校舎を使用することになった。とにかく幸いだったのは、時間が繰り返すようになったのが夏だったってこと。冬が恋しくなる暑い日もあるけど、すきま風の攻撃にさらされる寒い日よりは、ずっとマシ。冬が繰り返すようにならなくて本当に良かった。
ほどなくして、高井和先生が小脇に分厚い本を抱えて教室に入って来た。
「起立!…礼!」
いつものように博己先輩が号令を掛ける。
「おはよーございまーす」
挨拶は一応それなりにきちんとする。かといって、今から先生が黒板に問題を書いたり、指名された誰かが教科書を朗読するといった、通常の授業をするわけではない。
「おはよー、みんな揃ってるな」
お決まりの先生の第一声。見れば分るから出席は取らない。そのかわり、まずは授業の前に、ちょっとした世間話を五、六分ほど交わす。第一回目の登校日の授業は、大抵は新しく訪れたゲストに関する話題から始まる。いつもだったら、和則が真っ先に口を出すけれど、今日は珍しく、
「椎子、この前はご苦労さん!」
高井和先生が私に労いの言葉をかけて、ゲストの話題を切り出した。
「あ、いえいえ」
キクばあちゃん、ゴロベエ先生に続き、これで三回目。こう何回も労らわれては、私もその気になってくる。キクばあちゃんの指示で動いただけっていうのを、だんだん忘れてしまいそう。あと一回誰かに労われたら、たぶん調子に乗って、天狗になってしまうかもしれない。
「どうしたの?」
振り向いて、首をかしげた由美に、
「ゲストが、ちょっとね」
私は小声で言った。すると、
「先生、今度のゲスト、二十一世紀から来たんだって?」
和則が割って入った。みんなには、ゲストがいきなり気絶したってことや、悪臭を放ってたってことより、二十一世紀からやって来たってことだけが伝わっている。
「ああ。確か…あれ? 椎子、何年だったっけ?」
「二〇〇九年」
「おおっ!」
みんながどよめいた。
「ということは、今から…えーっと」
「三十四年後だね」
無理に計算しようとしたバカな和則よりも速く、秀才博己先輩が答えた。
「おおっ!」
みんなは更にどよめいた。そう、三十四年後! 私たちが、おじいちゃんやおばあちゃんになっている頃なの! …なんて、キクばあちゃんの姿を思い浮かべ、ヤケになってるのは私だけのようだ。ずっと先のことで、みんな、いまいちピンときていない様子でいる。
「先生、ゲストの名前、教えて」
光子が手を挙げた。
「それがねえ、…まだ分からないんだ。なあ、椎子」
由美が、本当なの? って顔で振り向いた。私はちょっぴり引きつった笑顔でうなずく。
「二十一世紀からやって来たってこと以外は、まだ何も教えてもらっていないんだよ。着いて早々に気分が悪くなったみたいでね、祐輔の家でずっと休んだままなんだ」
「えー、大丈夫なの?」
心配そうに由美が声を上げた。
「どうやら疲れがたまっているらしい。しばらく休んでいれば大事はないそうだ」
高井和先生は、ゲストを気遣っているのだろう。爆竹で気絶したことや、野暮ったい格好で悪臭を放っていたことには触れなかった。やっぱり、むやみにペラペラとしゃべるのは良くないな。狭い岩柿村だから、そのうちみんなに知れ渡るのは時間の問題だろうけど、それまで私も黙っていよう。
「そういえばさあ、小六の時、二十一世紀の自分に手紙書いたよな」
「あ、書いた書いた!」
和則と元信が嬉しそうに手を叩いて言った。そういえば書いたっけ。二十一世紀の自分宛に夢や希望を書いて。
「ほう、作文の授業でかい?」
「ううん、卒業記念」
「卒業記念?」
先生が首を傾げるのを見て、私は、
「卒業記念のタイムカプセルなの。二十一世紀になったらみんなで開けようって、クラス全員が自分に宛てた手紙書いて、校庭の隅に埋めたんです」
バカな和則の説明不足を補った。
「タイムカプセルかあ。それはロマンがあって良いね」
手を顎に当て、先生がうなずくと、
「俺、そん時の夢は宇宙飛行士だったからさあ、『かぐや姫に会ったらよろしく言っておいて下さい』って書いたんだよなあ。今思えば、火星人にしとけば良かったかなー」
「俺は新幹線の運転をするのが夢だったから『ひかり号で時速三百キロをとっぱ』って書いた! 俺も新幹線じゃなくって、リニアモーターカーにしとけば良かったよ」
と、和則と元信が続けざまに懐かしんだ。この前、ゲストに質問していた祐輔や寛太と、なんか似たようなことを言っている。君たちの思考能力は、やっぱり小学生並みなんだな。
「おいおい二人とも、せっかくタイムカプセルに込めた夢なのに、もう諦めたのか?」
「だって先生、いろいろとやりたいことが増えちゃってさあ」
和則、そのやりたいことって鶴光のハガキだろうに。夢の質がずいぶんと下がったものだ。まあ君には、ハガキのほうが相応しくはある。
「しょうがないなあ」
先生も呆れて苦笑い。
「じゃあもう一回、宇宙飛行士の夢、復活させようかな」
和則がノー天気な発言をかまし、元信がもっともらしくうなずいた。私たち女子三人はこらえきれず思わず口を押さえた。富美蔵おじさんの親戚で、いつも無表情を貫いている博己先輩も、さすがに眼鏡の奥で目が笑っている。夢を語るのは大いに自由だけど、鶴光にハガキを書くこと以外は、努力や勉強といった言葉と、ほぼ無縁の男。そんなんで宇宙飛行士になれる訳がない。それは元信もまったく同じ。なんて思ってたら、高井和先生がとどめの一発を言い放った。
「だったら、今の百倍は勉強しないといかんな」
「……!」
先生は二人に喝を入れるつもりで言ったのに、和則と元信は、
「あ、やっぱり止めた」
「俺も」
速攻で夢の復活を諦めた。
第四話 あの、不気味な電信柱の謎が解明した。その一
1975年7月24日 9:50