© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
第二話 洗面器、回収。その二
彼の服と謎の機械は、後でれんげと一緒に祐輔の家に届けることにした。で、布団を運んだ後、お店の赤電話から、たぶんお昼ご飯の食材を待っているであろう母に「少し待ってて」と電話したら、「晩ご飯用のソーセージだから、ゆっくりしておいで」って言われ、ちょっと拍子抜けしてしまった。
「そしたら、冷たいものでも飲んで、一休みしていって」
キクばあちゃんがカルピスを作って気遣ってくれた。ありがたい! 体力を使った後のカルピスはとても美味しい。私は一口で飲み干し、れんげは息を切らしながら少しずつ飲んだ。なるべく負担が掛からないように持ったつもりだったけど、さすがに敷き布団は、れんげには重すぎたみたい。
「ねえ、ポテトチップス、食べる?」
私はお菓子の棚から、ポテトチップス二袋を取り出した。
「え?」
「れんげの分も、お姉ちゃん、買ってあげようか」
「ほんと!?」
がんばって布団を運んでくれたから、ささやかなご褒美。二人分のポテトチップスを買っちゃったら、魚肉ソーセージ二本のおつりでは、かっぱえびせんまでは買えないけど、かわいい妹のためだ。今日はえびせんは諦めよう。…なんて、久しぶりに妹思いの優しいお姉さんぶりを発揮して、せっかくいい気分になってたのに、
「だったら、れんげ、バナナアイスおごるね! 一本、五十円だから」
と、れんげは表に飛び出し、冷蔵庫からバナナ味のアイス二本を取り出して、ニカッと笑った。その様子を奥で見ていたキクばあちゃんが、感心した。
「れんげちゃんは、お姉ちゃん想いなんだねえ。はっはっはっ」
五つも歳が離れた妹に、なんだか一本取られたような気がした。
れんげにおごってもらったバナナアイスを頬張りながら、タオルとポテトチップス二袋とソーセージ二本と、それから、ひょっとしたらラジオかもしれない機械を詰め込んだ洗面器は私が持って、彼の服と帽子はれんげが小脇に抱え、祐輔の家に向かった。さほど遠くはないから、着くまでにアイスを食べ尽くすようにゆっくり歩いた。
途中、奥野川に架かる十メートル足らずのコンクリートの橋の上から、二人並んで下の様子を伺った。甘い香りが漂っている。橋の近くの、白い花をちりばめたクチナシの茂みが川にせり出し、影を落としている。そこに、大小の二匹の川エビが、川底の丸い石の上で休んでいた。
「れんげと、シーコ姉ちゃんみたい」
「あはは、ほんとね」
私がまだれんげよりも小さかった頃、ここにはたくさんの川エビたちが群れていた。今ではほとんど見かけない。木造の橋がコンクリートに替わった頃から、次第に少なくなっていった。もしも時間が戻ったら、あの川エビたちはどうなるんだろう。できたら、ずっとここに居てほしいな…。そんなことを思いながら、ちょうど二人揃ってアイスを食べ終わった時、
「あ、シーコ姉ちゃん、動き出したよ」
まるで、私たちに見られているのが恥ずかしいみたいに、川エビたちはゆっくりと後退りしながら、石の陰に隠れた。
突然、近くで自転車のベルが鳴った。ゴロベエ先生だ。愛車を軽快に漕いで、白衣をなびかせながら近づいてくると、橋のたもとでキュッと音を立てて止まった。
「よお、お二人さん」
先生は、古風な丸渕の眼鏡をずらして微笑んだ。
「おはようございまーす、ゴロベエ先生」
「おはようさん。昨日は大変だったねー」
「いえいえ」
「昨日の椎子ちゃん、立派だったぞー。布団運んだり、みんなに連絡したり、なかなか出来るもんじゃない!」
「あ、ははは…」
笑いが引きつってしまう。ほとんど、キクばあちゃんの指示だったから、私が立派だった訳じゃない。しかも、爆竹が破裂したのは、私のせいでもある。
「そういえばいつだったか、椎子ちゃんは将来、看護婦さんになりたいって言ってたなあ」
先生ったら、ずいぶん前に私がチラリと言ったことを、よくもまあ覚えていたものだ。
「きっと立派な看護婦さんになれるぞ!」
腕組みをしてゴロベエ先生が言った。すると、れんげが驚いた様子で私の服を引っ張った。
「シーコ姉ちゃん、看護婦さんになるの?」
「ま、まあね」
あくまで願望であって、なれると決まっているわけではない。それに、時間が繰り返している以上、いつまでたっても看護婦にはなれない。
「ところで、姉妹揃って、橋の上で何してるのかね?」
「あ、いえ、届け物があるんです」
私が祐輔の家を指差すと、
「これ!」
れんげが小脇の服と帽子を差し出し、
「キクばあちゃんが洗濯してくれたの。二十一世紀のお兄ちゃんに届けてあげようと思って」
さっきの冷蔵庫の時と同じように、ニカッと笑ってみせた。
「それはご苦労さん。ゲストの青年、昨日よりはだいぶ顔色は良くなってたから、ついでに一声掛けてあげるといい」
「ゲストを診に行ってたんですか?」
私ったら、川エビに見入ってて、ゴロベエ先生が祐輔の家から出てくるのに、まったく気付かなかった。
「ああ。静香さんから電話もらってね。ゲストがやっぱり元気ないから心配だって」
「大丈夫なんですか?」
「なあに、昼飯も残さず食べたようだし、体は全く異状は無い。まだ口数は少ないけど、明日には気分も落ち着くだろ」
「そうですか。良かったー」
ちょっと責任を感じていた私は、安心してほっと息をついた。
「ところで、ケータイっていうものを見なかったかい?」
ゴロベエ先生は、聞き慣れない単語を口にした。
「ケータイ?」
「青年がどこかに落としたらしいんだよ。こんくらいの物らしいんだが…」
両手で小さな窓を作って、先生は大きさを示した。
「あ、もしかしてこれかな?」
私が例の機械を取り出すと、
「ああ、たぶんそれだね」
先生は、眼鏡を掛け直してうなずいた。
「キクばあちゃんが預かってたんです」
「なあんだ、そうだったのか。ずいぶん不安そうな顔しとったから、この夏が終わる時には、必ず手元に戻るから心配ないって言っておいたんだが…、まあこれで安心するだろ」
「よっぽど大切なものなんですね」
私はそっとタオルに包んで洗面器に入れた。未来に帰ってから、ちゃんと動いてくれると良いけど。
「さてと、キクちゃん商店でパンでも買って帰るかな。じゃあ、ケータイのこと、頼んだよ!」
「はーい!」
白衣をマントのようになびかせ、自転車のペダルを軽快に漕いで行く先生を、私とれんげは手を振って見送った。
この村のご意見番でもあるゴロベエ先生の本名は藤島孝作。雷のように怒るからゴロベエというあだ名が付いている。付けたのはもちろん祐輔。だけど、藤島先生って呼んでも、
「ゴロベエで良い」
って先生は言う。自分でもこのあだ名が気に入っているようだ。誰かが「先生は竹を割ったような人だ」って言ったことがある。丸渕眼鏡と陽水のようなモジャモジャ頭の、ちょっとアンバランスな風貌のおかげで、なんだかいい加減な人に見えるのだけど、実は何でも白黒はっきりつけないと気がすまない。だから、間違った事を言ったり無理をしでかしたりすると、大目玉を食らってしまう。年上のモアイ村長や元ジイだって容赦しない。若い頃の自慢話を何倍も誇張して話す、村の迷ぶつじいさん元ジイが、かつて、お酒はしばらく禁止と、先生に釘を刺されていたにもかかわらず、言うことを聞かずに飲み続け、しばらく体調を崩したことがあった。その時ゴロベエ先生は、鬼のようなもの凄い剣幕で叱りつけた。かといって決して怖い人ではない。普段はとても優しい。
江戸時代に例えたら、破れ傘なんとかという時代劇みたいに、いざとなったら町人たちの楯になって「てめえら人間じゃねえ! たたっ斬ってやる!」って、悪代官相手に平気で怒鳴り散らすようなお医者さん。そんな先生だから、何か悩み事や迷った事があると、みんなすぐに頼ってしまう。それだけ村の住民たちに信頼されている。だけど、モアイ村長が失踪したあと、代わりに村長を務めて欲しいという住民たってのお願いを、ゴロベエ先生は「面倒くさいのはご免だ」と、突っぱねた。本当に面倒くさいのではなく、何でもかんでも人に頼るのは良くないってことらしい。そもそも岩柿村の住民ではなかったのだから、先生が断るのも当然なのだけど。そのかわりに、モアイ二号がほとんどお飾りの村長代理ってことで話がまとまり、ゴロベエ先生は村のご意見番として崇められることになった。
「ふーん。じゃあ、会えなかったのか」
コップにビールを注ぎ、父が相づちを打った。
「もう、がっかり」
れんげは口をとがらせ、むくれた。
「まだ、ショックが抜けていないのよ。昨日の今日だし」
母はソーセージかき揚げを山盛りにした皿を、テーブルの真ん中に置いた。ニンジンとタマネギに、刻んだ魚肉ソーセージが程よく絡み、カラリと揚がっている。れんげの表情が、たちまち笑顔に変わった。
「でも、体は異状無いって。ゴロベエ先生が言ってたよ」
箸と小皿を並べながら、私は母に言った。すると、
「そうかあ…」
父が、なぜか心配そうな顔をした。
彼の品物を届けに行った私とれんげは、結局、彼には一目も会えなかった。祐輔の家では、彼の控えめないびきが漏れている部屋の前で、祐輔と寛太が、つまんなそうに時間をつぶしていた。診察が終わり、ゴロベエ先生が引き上げたとたん、どうやら、溜まっていた疲れがいっきに出たらしい。私は静香おばさんと、れんげは祐輔たちと世間話を少ししただけで帰って来た。れんげが、お昼ご飯を食べてからもう一度祐輔の家に行ったけれど、彼はやっぱり熟睡したままだったようで、がっくりと肩を落として帰って来た。
「じゃあ、まだ名前も分らないってわけね」
「そうなの。分っているのは二十一世紀からやって来たってことだけ」
茶碗を受け取りながら私が母に答えると、
「まいったなあ…」
父がぼそりとこぼした。
「どうしたの?」
「だって、心配じゃないか」
「心配って、たった今、異状無いって先生が言ってたって、椎子が言ったじゃないの」
「いや、ゲストのことじゃなくて…」
「じゃあ何なの?」
「未来のことだよ」
「……」
母の眉間に、一瞬シワが寄った。
「なになに?」
れんげは、公民館での出来事を断片的にしか聞いていないから、話しに加われず、じれったそうにテーブルを手のひらで連打した。
「本当に未来で戦争が起こっているのか、一刻も早くゲストに確かめたいと思ってさあ」
「あなた、誠次郎さんの言ったこと、本気で信じてんの?」
ますます母の眉間にシワが寄る。心霊現象好きな母も、さすがにこの件に関しては付き合っていられないようだ。
母にとっては、妄想を信じているってことより、野球バカトリオの一員として、みんなの前で怒られたってことが、よっぽどみっともなかったらしい。だから、この件には触れたくないのだ。昨日、公民館から戻ったあとも「あーっ、恥ずかしいっ!」って、何度も愚痴ってたっていうから。
「なになに?」
「いや、でも、誠ちゃんのあの真剣な顔、尋常じゃなかったからさあ」
「何の根拠もない妄想だってことで終わったものを、わざわざ、ほじくり返さないの! いい加減にしないと、テレビ、禁止するわよ! どうせ今日のオールスターだって、巨人の選手、ヒット打たないんでしょうに!」
母の脅しに、
「むむむーっ!」
父は頭を抱えて唸った。
父の心配も解らないわけではないけれど、そのせいで、テレビが見られなくなっては困る。この場合は、
「そうよ、お父さん! また、ゴロベエ先生に怒られちゃうわよ!」
母の味方になるのが賢明だ。
「で、でもさあ…」
私と母は思わず顔を見合わせ、
「でもも、ストライキもないのっ!」
ゴロベエ先生のセリフで、ピタリと口を合わせた。すると父が、
「うわわぁー…」
昨日の公民館の時のように、また情けない顔をした。
「なになになになにっ?」
れんげがしびれをきらして声を上げた。すかさず父の真上のオンボロ柱時計が、ボヨーンと、いかにも間の抜けた音で、七時半の合図を送った。
●本文の一部に、現在では不適切な表現が含まれています。この物語の時代背景、を明確にするため、あえて使用致しました。あらかじめご了承下さい。
1975年7月22日 11:10