© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
第十四話 こんな影響なら、大いに歓迎したい。その二
「たくろうのラジオ、楽しみ!」
光子がもう一度声をかけた。歩きながら振り返ると、レコードを持った手を軽く挙げてくれた。
「あ、レコード、この夏休みが終わるまで持ってていいわよ。どうせ勝手に戻って来ちゃうし」
「うん、ありがとう!」
「じゃあね、光子」
私は右手を大きく振った。行きとは違って、レコードがない分、帰りはだいぶ楽だ。そのかわり光子は、由美と半分ずつ分け合って借りたレコードと、剥き出しのクラシックギターを不器用に抱え、ぎこちない足取りで公民館横の坂道を自宅に向かって上っていく。レコードを包むビニールとギターの側面に、傾きかけた日差しが跳ね返り、光子の動きに会わせてキラキラと揺れている。
「いい感じだったな…」
後ろ向きに歩きながら、私は練習の様子を振り返った。最初から様になっていた由美のボーカルに、だいぶ上達した光子と私のギターが、なかなかいい感じに重なり、五回も繰り返して演奏した。繰り返すごとにわくわくした。「なんか、本物のリハーサルっぽい!」って、光子が冗談まじりで自画自賛し、私と由美も「うんうん!」と、大げさにうなずいた。スタジオなんて見たこともないはずなのに、昔の面影がほとんど無くなっていた由美の部屋が、ほんの一瞬、ちょっとした素敵なスタジオに思えた。そのあと調子に乗った私たちは、そろそろ他の曲にも挑戦してみようかと話し合った。「今度は明るいものを選曲しようよ」と、光子が提案し、「だったら『あせ』なんかいいかも」と、私が同じNSPの曲を推薦すると、「じゃあ、次の登校日に早速挑戦しよう!」と、由美が張り切った。
練習はそこそにして、恋愛話のおしゃべりで過ごす予定が、私たちはその大半を演奏と曲の話題に費やしてしまった。それでも、帰宅予定まであと三十分という短い時間内で、私と光子の企みは見事に成功した。最初は口が堅かった由美が、光子のおだて作戦「由美はやっぱり歌が上手!」に、まんまと乗せられ、好きな男子の名前をついに白状した。光子が見当をつけていたのは、まったく別の男子だったようで、
「まさか由美が、良和のことが好きだったなんて予想外!」
と、驚いていた。
良和君は、由美と光子の同級生。私は一年の男子のことはほとんど知らないから、顔と名前がどうしても一致しない。光子によるとちょっとひょうきん者らしいが、由美によると「ロマンチストで優しい人!」らしい。「私の場合、シーコさんと違って、何ヶ月も想い続けたわけじゃないの。ちょっと気になり出した頃に、夏休みが繰り返すようになったから、ぜんぜん平気なの!」と、強がって見せた由美だったけれど、帰り際、玄関先で見送りながら、赤くなりやすい私以上に顔を真っ赤に染めて「次は光子の番だからねっ! ちゃんと白状してよねっ!」と、わざと頬を膨らませていた様子が、少し無理をしているように思えた。私と由美の立場は微妙に違うけれど、好きな人に会うことができない状況は同じ。今まで由美はそんな様子は微塵も見せたことがなかった。だけどきっと、彼女も切なさに押しつぶされそうになる時があるんだろうな。
キクちゃん商店に差し掛かり、また、中の様子を伺う。今度はばあちゃんが座布団に座っている。
「キクばあちゃん」
入り口の手前で声をかけた。
「あれ、シーちゃん」
目を細め、キクばあちゃんは微笑んだ。ギターケースを抱え直し、私はお店の中に足を踏み入れる。
「大きな荷物ねえ。学校に行ってたのかい?」
「ううん、由美んとこ。由美と光子の三人で、フォークソングの練習してたの。由美が唄を唄って、私と光子はギター担当」
と、私はケースを指差す。
「あれまあ、シーちゃん、ギター弾けるのかい!」
「まあ、少しだけね」
「じゃあ、次からの歓迎会で演奏したらどうかね」
さりげなく、ばあちゃんがその気にさせる。しかし、
「ま、まだそこまで弾けるわけじゃないの。練習始めたばかりだから、ほんの、ちょっとだけ。あはは」
私は慌てて言い直す。最近上手くなったといっても、まだまだ人に聞かせられる腕ではない。うっかり「弾ける」と見栄を張ってしまったら、結局恥をかく羽目になる。
「ところでばあちゃん、お昼はどこか出かけてたの?」
「あい、畑に出てたんだよ。寄ったのかい?」
やっぱり畑の手入れだったか。
「うん。由美んちに行く途中で、ちょっと顔出しただけなんだけどね」
「あれまあ、それは悪かったねえ。はっはっはっ。今日は豊作でねえ。いつもより時間が掛かってたんだよ。…そうそう、ちょうど良かった。シーちゃん、良かったら持って行って」
よっこらしょと腰を上げ、ばあちゃんは台所へ姿を消す。
「何を?」
後を追うように声をかける。すると、
「これ」
と、ばあちゃんは何かを抱えてすぐに戻って来た。
「わあ!」
思わず声を上げた。ばあちゃんの腕からこぼれそうな大きな二つの瓜。この前、みんなとご馳走になった瓜より、ひとまわりも大きい。
「持てるかねえ」
「う、うん。バッグ、空いているから大丈夫。それにしても大きいねえ!」
驚きながら、私はレコード入れに使ったバッグを広げる。
「そうじゃろう。いつもは一夏で少ししか実がつかんのに、今日はこんなのが、沢山なってたんだよ。収穫にずいぶん手間が掛かってねえ」
バッグに瓜を入れながら、ばあちゃんは自慢げに言った。ズシリと肩に重さが伝わる。気のせいか、ギターよりも重く感じる。
「えーっ、一晩でっ!?」
「あい」
「凄ーい!」
瓜の生長って、そんなに速いはずがないのに、この夏のばあちゃんの畑は、いつもと違うようだ。もしかしたら、高井和先生の仮説の一つ、「微妙に違う時間」の影響なのかしら。まあ、畑が豊作なのは悪いことではないし、こんな影響だったら、大いに歓迎したい。
「一人じゃ食べきれないから、持って行って」
「ありがとう。あ、そうだ…」
私は、瓜を美味しそうに食べていた透さんを思い出し、
「一つ、祐輔のところに持ってこうか」
と、バッグに入れたばかりの瓜を取り出す。すると、ばあちゃんは嬉しそうに手を横に振った。
「もうあげたんだよ。さっき、みんなが店に寄ってくれてね。寛太と、元ジイにも二つずつ」
「あら、元ジイまで。なあんだ、そうだったの」
「おかげでほとんど捌けたからねえ。良かったよ。はっはっはっ。れんげちゃんにも持たせようとしたんだけどね、ちょっと機嫌が悪くってねえ」
「え? れんげ、どうかしたの?」
「やきもちよ、やきもち」
「やきもち?」
「あい、はっはっはっ」
うなずきながら笑ったキクばあちゃんは、そのあと実に楽しそうにれんげのやきもちの訳を続けてくれた。つまり、こういうことらしい。
私が顔を出す一時間ほど前に、透さんと悪ガキたちがお店の前を通りかかった。ばあちゃんが瓜をあげようと呼び止め、みんなもやっぱりその大きさに「凄い!」と騒ぎ出した。そこへたまたま元ジイが通りかかり、何事だと騒ぎに加わった。しばらくは瓜の話題で盛り上り、一人じゃ食べきれないからっていうばあちゃんの好意に甘え、みんなはそれぞれ二つずつ、瓜をもらって帰ることになった。その時元ジイが「こんなに店が賑やかなのは、ずいぶんと久しぶりじゃなあ」と、ぽつりと言った。そこから話は夏休みが繰り返す前のキクちゃん商店に切り替わり、なっちゃんこと夏子姉さんの話題になった。
なっちゃんはばあちゃんのハトコで美人のお姉さんだってこと、夏休みになるとお店に泊まりに来ていたこと、お店が賑やかだったのは、なっちゃんが店番を手伝っていたからだっていうこと、なっちゃん目当てに隣村の男子たちまでが店に押しかけていたということまで、悪ガキたちは透さんに説明してあげたらしい。さらに話しは進み、キクばあちゃんの伝説の話題になった。ばあちゃんの若い頃は、とっても美人だったという、あの伝説のことだ。そんなの迷信だと言い張る祐輔に、若い頃の写真を見せてあげたらどうかと元ジイが提案し、キクばあちゃんのアルバムをみんなで見ることになった。そしたら、一枚の写真に「こ、これがキクばあちゃん? うそだーっ!」と、祐輔と寛太があからさまに頭を抱え、れんげと透さんも信じられないといった様子で見入った。
忘れかけていた思い出が蘇ったらしい元ジイは、興奮して血圧が上がりそうになった。そんなふうに、しばらくはキクばあちゃんの若き日の美貌に騒然となったけれど、やがて祐輔が、ある写真に気がついた。なっちゃんの写っている写真だった。すかさず「これこれ! これがなっちゃん」と指差しながら、透さんにアルバムを渡した。すると透さんは、キクばあちゃんの若い時の写真以上に驚き、なっちゃんの写真に言葉を失うほど釘付けになってしまった。「透兄ちゃん、一目惚れ?」と、祐輔の冷やかしにもほとんど無視。とたんにれんげの目が吊り上がった。「もう、おしまいっ!」と、透さんからアルバムを強引に横取りし、ムクれてしまったらしい。
「そうだったの。もう、れんげったら、しょうがないなあ」
話しの途中で腰をおろし、すっかりくつろいだ格好で聞いていた私が苦笑いすると、
「れんげちゃんは、よっぽど透さんが好きなんだねえ。はっはっはっ」
ばあちゃんは、また目を細めて笑った。
「ねえ、キクばあちゃん」
「あい」
「よかったら、私にもアルバム見せて!」
私のおねだりが予想外だったのか、
「はっはっはっ、あい、あい」
キクばあちゃんは、照れくさそうにうなずいた。
「若い頃の写真は、これ一枚だけなんだよ」
そう言って見せてくれた、アルバムの最初の白黒写真。セピア色になりかけた、結婚式の時の写真だった。白無垢に包まれた、きれいなきれいなお嫁さん。本当にキクばあちゃん? と、一瞬目を疑った。同一人物だとは信じられなかった。いっしょに写っていたのは、やっぱり伝説として語られている、村一番の色男と言われた旦那さん。凛として立っているその隣で、お嫁さん時代のキクばあちゃんが、幸せそうに寄り添っていた。私は思わずため息が出た。それ以外の写真は、もうおばさんを通り越した時のものばかりで、今のキクばあちゃんとほとんど変わらなかったから、なおさら、結婚式の写真が際立った。
なっちゃんの写真はアルバムの最後にあった。お店の前で、いっしょに並んだキクばあちゃんの肩に、いたわるように手を添え、素敵な笑顔で写っていた。やっぱりなっちゃんは美人! 透さんが一目惚れ…いや、一目惚れしたかどうかは定かじゃないけれど、れんげが発作的にやきもちをやくほど、透さんが見入ってしまうのも当然だと思わせる、素敵ななっちゃんの写真。岩柿村がタイムトラベルする直前の夏休み、お店の手伝いをしていたなっちゃんを、たまたまカメラを抱えて買い物にやって来た田霜先生が撮ってくれたらしい。なっちゃんがお店に滞在している間には現像が間に合わず、ばあちゃんは次の夏に来てくれた時に、なっちゃんに写真を見せてあげるつもりだったらしい。
「はあ…」
なんて素敵な写真なんだろう。アルバムの最初と最後を交互に開き、二枚の写真を見比べながら、私は何度もため息をついた。
1975年8月11日 17:15