© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
第十六話 特別教師。その一
登校日、天気は雨の中休みで朝からすっきりと晴れている。今日の授業はいつもとは違う特別授業の日。二時間通しで男子と女子に分かれて行う。男子は技術科、女子は家庭科。男子たちは、三年B組の教室で粘土細工に励んでいる。木工が本来の授業だけど、何かを作っても、次の夏休みには無かったことになってしまう。だったら、加工しやすい粘土で、毎回違うものを作ることになった。私たち家庭科の授業は料理。学校裏の畑で収穫した野菜を使って、特製サラダと特製カレーを作るのが恒例になっている。
「みんなぁー、収穫できたぁ?」
今日子先生が、畑の端から声をかけた。先に手を挙げたのは光子。
「完了!」
「こっちもオッケーよ」
続いて佐百合先生が腰を起こし、
「はーい!」
最後に、由美と私が手を振った。キクばあちゃんの畑のように、もしかしたら、今回は巨大な野菜が収穫できるのでは、と期待したけれど、いつもと同じで変化無し。それでも、ここはいつだって豊作状態だから、材料が足りずに困る、ということはない。
畑の野菜は、元々、夏休みが繰り返す前に、三年の男子たちが授業の一環として栽培していたもの。カボチャ、ナス、ニンジン、トウモロコシ、さらにオクラ、トマト、キュウリ、ホウレンソウなど、結構な品数が収穫できる。
調理場は、小学生たちが使っている一年A組の隣にある。収穫した野菜を抱え、私たちは、悪ガキたちの授業の邪魔にならないように、横の廊下を静かに通って行く。
気配を感じ、教室に目を向けた。れんげが、筆を持った手を振って私に合図を送っている。お返しに、私はトウモロコシを振って応えた。廊下を渡りきる前に、振り返ってもう一度教室を見た。十人の生徒たちが、思い思いに文鎮や墨汁を机の上に並べている。その前で、元ジイが黒板にお題を書いている。『いーたんねっとう』、黒板の真ん中にデカデカと書くと、すぐに祐輔に指摘され、『いんたーねっと』と慌てて書き直した。お題は、ゲストが残していった言葉で、元ジイが気に入ったものを選んでいる。だけど、前回までは『じゅりあな』と『おたちだい』を何度も繰り返して出題していた。よほど印象的な言葉だったらしい。ようやく新しいお題に替わった。
小学生たちも今日は特別授業。一時間目は習字、二時間目は図画工作。村の話し合いで、小学生の科目以外の授業が習字に決まった時、「ワシに心得がある」と、元ジイが教師役を買って出た。で、特別教師として、小学生たちに習字を教えることになった。そのかわり、今日子先生と佐百合先生は、私たちの家庭科の担当をすることになった。
小久保今日子先生と野窪佐百合先生は、どちらも、かつて二百人近くの生徒たちで賑わっていた、岩柿小学校の先生。名字の読みが似ていてややこしいから、私たちは下の名前で呼んでいる。今日子先生は二年生、佐百合先生は五年生の担任だった。今は、たった十人の生徒たちの共同担当になって、一時間目を佐百合先生が、二時間目を今日子先生が教えている。
今日子先生は自称三十歳。三十後半だという噂もあるが、正確な年齢は誰も知らない。スラリと伸びた背は、村の女性で一番高い。結婚しているけど、私が小六の時に単身赴任でこの村にやって来た。
佐百合先生は、小柄で笑顔が素敵な二十七歳の独身。まだまだ新米教師だと本人は言っている。見た目はおとなしそうだが、イケイケのお姉さんに、唯一お説教をした熱血漢なのだ。前に高井和先生と噂になったことがあるけれど、その後、二人の間にそれらしき進展があった様子はない。
今日子先生と佐百合先生は、夏休みが繰り返す前から、職員住宅の一棟に住んでいる。そのため、夏休みが繰り返すようになった時、この村に閉じ込められた、たった二人の小学校の先生になってしまった。
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「さあ、始めようか」
今日子先生が腰に手を当て、指揮を執る。まずは窓側の洗い場で、みんなで野菜を洗う。これから、カボチャをメインにした野菜カレーと、それに添える二十食分のサラダを作る。三年の男子たちが残してくれた野菜、食べなきゃもったいない。せっかくだから、月に一度、収穫してみんなで食べようということになった。メニューは「カレーだったら、野菜が嫌いな子も食べてくれるかも」と、今日子先生が提案し、私たちも大賛成で即決。ついでにサラダも添えようということになった。
お昼はいつも家で食べる小学生たちも、普段は弁当を持参している私たちも、今日だけは家庭科提供の給食。小学生十人、中学生六人、先生が三人に、特別教師の元ジイの分を加えて、全二十食。メニューは毎回同じでも、カレーの具を微妙に変えたり、サラダは盛り方やドレッシングでいろいろと工夫をしているから、悪ガキたちや男子たちにも評判がいい。今日のカレーは初めてのナス入り、添えるのはコーンサラダ、ドレッシングは醤油ベース。
「あ、そうそう、一人分多めに作るからね。後で、透さんが来ることになってるから」
後ろでトウモロコシの皮を剥きながら、今日子先生が言い足した。
「透さんが?」
「何か、あるの?」
カボチャとナスを洗っていた由美と光子が、振り返って首をかしげた。 私も、トマトとキュウリを洗いながら振り返える。すると、佐百合先生が、
「授業、お願いしたのよ。よかったら、生徒たちに絵を教えて下さいって」
ホウレンソウとニンジンを洗いながら微笑んだ。
先週のラジオ体操の時、子どもたちには内緒で、透さんに図画工作の臨時教師をやってもらえないかと、先生二人でこっそり頼んだという。歓迎会の時、透さんがデザインを勉強していると知ってから、密かに企画していたらしい。たぶんだめかもねと、二人ともあきらめがちにお願いしてみたら、「前に僕が習った、キャラクターの作り方でよければ」と、意外にあっさり快諾してくれたそうだ。やっぱり、透さんは良い人だ。れんげの嬉しそうな様子が目に浮かぶ。キャラクターの作り方って、いったい、どんな授業をするのだろう。なんか私も、急に興味がわいてきた。
しばらく経って、約束の時間だからって、今日子先生が校門へ迎えに行った。透さんがやって来たら、生徒たちに見つからないように、中庭を避けて、講堂側の渡り廊下を回って職員室に通すらしい。何も知らない子どもたちに、直前になって事情を話し、ビックリさせようというわけだ。
いつも悪ガキたちに占領されている透さんが、教室に突然現れたら、きっと他の子どもたちも大喜びするだろう。
二時間目のチャイムが鳴ってほどなく、子どもたちの歓声が聞こえた。私たちは下ごしらえを進めながら、隣の様子に耳を傾けた。拍手がわき起こっている。きっと、今日子先生に透さんが紹介されているのだろう。
「あの子たち、喜んでるみたいね」
嬉しそうに、佐百合先生は目を細めている。
授業が半分ほど過ぎた頃、今日子先生が小走りで調理場に戻って来た。
「お願いして大正解! もうね、こんな授業の仕方もあるのねって、私のほうが教えられちゃったわ! とにかく、面白いのよ!」
「わあ! ほんとですか!」
先生二人は興奮気味に手を取り合った。
私たちは作業を一旦中断し、今日子先生の勧めで、透さんの授業を少しだけ見せてもらうことになった。教室には入らず、後ろの扉のガラス窓から交互に中の様子を伺った。黒板に、丸や三角、四角、星形、さまざまな図形が並んでいる。
「今度は、三角に挑戦してみよう」
透さんが指示を出した。十人の生徒たちは、それぞれのスケッチブックに、クレヨンやら、色鉛筆やら、サインペンを使って、三角の線を引いた。続けてその中に、それぞれが目や口を描き加えた。
「どんな形も、キャラクターになるんだって」
今日子先生が囁いた。なるほど、図形が顔の輪郭ってわけか。私たちは感心し、ため息をついた。
「できた!」
れんげが真っ先に手を挙げると、他の子たちも次々に続いた。
「じゃあ今度は、手と足を描き足して…」
みんなの席をゆっくりと回りながら、透さんはまた指示した。
「うわ、おでんのコンニャクみたいになっちゃったよー」
祐輔が苦笑いしながら、自分のスケッチブックを指差した。
「うん、いいよいいよ。じゃあ、コンニャク星人って名前を付けたらいいかもね」
そう言って透さんが手を叩くと、どれどれ、と他の子たちが祐輔に群がり、次々に笑い出した。みんな、とっても楽しそうにしている。そういえば、キクちゃん商店の、クジ付きの駄菓子を買っている時の子どもたちって、こんな笑顔をしている。キクばあちゃんが透さんを気に入っている理由は、もしかしたら、子どもたちに好かれているから、なのかもしれない。
窓越しの私たちに気づいて、透さんが軽く会釈した。佐百合先生が手を振って応えた。私たちも続いて手を振ると、透さんは照れくさそうに頭を掻いた。
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黒板の上のスピーカーから、NSPのファーストアルバムの曲が、控えめな音量で流れている。さっき、放送室で私のテープをかけて来た。お昼休みの音楽は、いつもクラシックと決まっているけれど、今日は、私たちフォークソング部の好きな音楽をかけていいことになっている。
「さあ食べよう」
「いただきまーす」
高井和先生と中学生六人、そこそこに声を揃えると、ワンテンポ遅れて、ピッタリと揃った小学生たちの元気な声が、向こうの教室で溢れた。透さんもいっしょに食べてくれているから、子どもたちにとって、きっと今までで一番楽しい給食になっているだろう。
「おお、ナスって、意外とカレーに合うなー」
一口食べて、高井和先生が褒め言葉を贈る。
「うん、いける!」
男子たちもうなずく。
「でしょ!」
と、私たち女子は胸を張る。
普段はバラバラの席だが、この日だけは、男女向かい合わせに机を並べ、そこに先生の席をくっつける。おしゃぺりしながら食べるから、いつもよりだいぶ賑やかなお昼時間になる。最初の話題は透さんの特別授業。その様子を先生と男子たちに教えてあげたら、
「今度、俺たちもキャラクターの授業、やってもらおうよ。ねえ、先生」
と、和則が提案した。
「うん、いいね」
先生も興味を示し、私たちももちろん異議無し。後で、先生が頼んでくれることになった。透さんのことだから、きっと、引き受けてくれるだろう。
その次の話題は先生から切り出した。
「今度の晴れの日、ソフトボールの試合をしようと思うんだが、みんな、参加してくれないかな」
「ソフトボール?」
和則と元信が首をひねる。
「そう、女子にも参加してほしいんだ」
「えっ!?」
私たち女子三人は、思わず顔を見合わせた。
「先生、急にソフトボールの試合だなんて、どうしたの?」
光子が声を上げた。先生は一旦スプーンを置き、事情を話した。
「実はこの前、透君とラジオ体操に参加している大人たちとで、何かスポーツをやろうって話しになってね。だったら男女で楽しめる、ソフトボールの試合がいいんじゃないかってことで、意見が一致したんだ。青年団にも声をかけたんだけど、まだまだメンバーが足りなくってね。ぜひ協力してほしいんだが、…どうだろう」
「俺たちは別に構わないよ」
と、和則と元信がOKサインを突き出すと、博己先輩もメガネのずれを直しながら続いた。
「ど、どうする?」
私は由美と光子に意見を求めた。
「ソフトボールって、小学生の時にちょっとだけしかやったことない…」
と、由美は不安がった。無理もない。私たちフォークソング部は、夏休みが繰り返すようになってから、スポーツなんてやったことがない。不名誉なことだが、運動音痴で私たちの右に出る者はいない。ラジオ体操さえ、ほとんど参加していないのだから。そしたら、先生が「大丈夫!」と気遣った。
「試合といっても、気楽な運動だと思ってくれればいいよ。いつも子どもたちに構ってもらっている透君に、少し気分転換をしてもらうのが目的でもあるんだ」
そんなことなら、参加しないわけにはいかない。
「じゃあ私たちも、ね!」
由美と光子に返事を促す。
「よし、力になっちゃおう!」
と、光子は不安がる由美の分まで、両手でOKサインを二つ作った。
「でも先生、透さんの足、大丈夫なの?」
私は、透さんが正座ができない足のことを思い出した。
「ああ。全力で走ることはできないらしいんだけど、スポーツをすることにはぜんぜん問題ないらしい」
左手の親指を突き立て、先生は答えた。そういえば、前に、歩いたり走ったりするのは問題ないって、透さん、言ってたっけ。私はほっとして、カレーライスをスプーンですくった。と、そのとたん、大変なことに気がついて、
「あっ!」
思わず立ち上がってしまった。
「どうしたの?」
ビックリして、由美がサラダをこぼしそうになった。みんなも驚き、顔を上げる。しかし、説明している時間がない。
「放送室っ!」
私は慌てて教室を飛び出す。
「放送室がどうしたんだよ!」
和則の声が背中ではね返る。振り向く暇さえない。広くはない校舎だが、放送室は三年と一年の教室のちょうど中間辺り、二年の教室と職員室の間にある。歩いていては間に合わない。次第にあの唄が近づいている。のろまな足で必死に走った。しかし、努力の甲斐無く、スピーカーからとうとう流れてしまった。「にょきにょきにょきにょきーっ」と、すっとんきょうな声で始まるNSPの『便所虫』の唄。とたんに小学生たちの大騒ぎする声が響いた。食事中、しかもカレーライス! あまりにもタイミングが悪い。たった一分の短い唄、結局私が放送室にたどり着いたのは、唄の全部が流れた後だった。
1975年8月14日 10:18