© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
第一話 二十六回目の夏休み。その二
バス停のすぐ手前で、父の自慢の腕時計を見た。ゲストを迎える日だけは私が使って良いことになっている時計。針は九時四十五分を指している。ゆっくり歩いてきたのに、いつもより十分も早く着いた。
「停留所の中で待っていようか」
「そうだねえ」
午後になると、蒸し風呂のようになるプレハブ仕立ての停留所。午前中は風の通りが良く、中はまだ涼しい。その入り口へ近づいた時、中で誰かの影が動いた。
「あ、やべぇ、シーコ姉ちゃんだ」
悪ガキトリオの祐輔と寛太だ。今回のゲストのお世話係は祐輔の家だから、もしかしたらと思っていたけど、やっぱり。二人は私に気づくと、慌てて何かを踏みつぶした。彼らがコソコソしている時は、決まって何か悪さをしている。
「ちょっと、あんたたち! 何やってるのよ!」
「べ、べつにぃー」
シラを切る祐輔の足もとに、蚊取り線香の破片がちらばっている。
「こらっ! また、時限爆弾を仕掛けようって魂胆でしょっ!」
「へっ? いきなり変な言いがかりつけないでよ、シーコ姉ちゃん」
しかし、となりで口をパクパクさせて突っ立っている寛太の顔に、『仕掛けようって魂胆です』って、はっきりと書いてある。寛太ときたら、見た目は番長みたいな体格のくせに、気が小さいから、こんな時はすぐに顔に出る。
「祐輔に寛太!」
キクばあちゃんが割り込んだ。
「わっ、ば、ばあちゃんっ! 口のまわり、血だらけだぞっ!」
皮肉かと思ったら、どうやら祐輔は本気でそう思っているようだ。寛太といっしょに目を見開いて驚いている。しかし、キクばあちゃんは、皮肉に聞こえて少しカチンときたようだ。
「そんな憎まれ口ばっかり言う子には、アイスクリームは売らんでもいいようだねえ」
と、ニタリと笑った。とたんに祐輔が、寛太と同じように口をパクパクさせて慌てだす。キクばあちゃんの脅し文句は効果絶大。そのセリフを言われたら、私だってばあちゃんのいいなりになってしまう。毎日が夏休みのこの村にとって、アイスクリームは最も重要なおやつなのだ。悪ガキたちの慌てっぷりに、私は思わず吹き出しそうになりながら、
「とにかくほらっ、早く出しなさい! 爆竹とチルチルミチル!」
祐輔の右手を掴んだ。
蚊取り線香を適当な長さにちょんぎって爆竹を結び、百円ライターのチルチルミチルで線香の先っぽに火を付け、数分後に爆発させる。悪ガキたちお得意のいたずら。到着したばかりのゲストを、爆竹の音で驚かせるつもりなのだ。まったく、この子たちときたら。この悪ガキトリオの中に、妹のれんげが名を連ねているのが、情けない。今日は仲間に参加していないのが、せめてもの救いだけど。
「ちぇ、しょうがねえなあ」
祐輔が口をとがらせ、隠していたチルチルミチルを差し出すと、寛太がうなだれ、ポケットから爆竹の束を抜き出した。
「まったく…。勉強はちっともしないくせに、いたずらには頭を使うんだから」
私の小言に、祐輔がさらに口をとがらす。
「何言ってんの! 時限爆弾、最初に思いついたの、れんげなんだぞっ!」
「なっ…」
一瞬、私は言葉を詰まらせた。恥ずかしさで顔が火照り出す。
「と、とにかく、早く片付けなさいっ!」
ごまかそうと、先に香取り線香のかけらの一つを拾ってみせた。ううっ、情けない。
数分後、プレハブ小屋のまわりの木々がざわめいた。前触れだ。バスが登場する直前に、つむじ風のような、少し強い風が起こる。
「あ、キクばあちゃん、時間よ」
「おや、もうかい」
それを聞いて、祐輔と寛太が表に飛び出した。
「あんたたち、変なまねしないで、おとなしくしててよね!」
しっかりと釘を刺す。大切なゲストに、イタズラされては大事だ。
バスの登場する位置はいつもピッタリ同じで、扉がどのあたりかは分かっている。私たちはゲストが降り立つあたりに移動した。やがて風が止み、私たちの目の前に、小さな光の粒が現れ始めた。
バスが登場するシーンはいつ見ても感動的。最初はいくつかの光の粒が現れ、それが次第に増えていってバスの形を作っていく。まるで蛍の大群がサーカスをしているようで、それはそれはじつに見事な光景なのだ。やがて光の粒の大群は、強烈な閃光を放ち、一瞬のうちにバスを登場させる。
いつものように、目もくらむまぶしさのあと、光の粒は消滅し、替わりにたった一人のゲストを乗せたバスが、姿を現した。
「おっ、来た来た!」
祐輔と寛太が、鼻息を荒くした。
シューッと、息を吐くような音を立ててドアが開く。ほとんどの場合、ゲストは一番後ろの席に座っている。今日もそうだ。日差しが強いせいで、バスの中が暗くてハッキリと分からないが、野球帽のような帽子をかぶっている。やっぱり、男の人にまちがいない。ドキドキする。
ゲストのだれもが、到着してすぐには降りてこない。瞬時に知らない場所に運ばれてくるから、状況を理解できないでいるのだ。大抵はしばらくの間、固まったように座っている。彼も同じで、ようやく立ち上がったのは、四、五分ほど経ってからだった。
私たちに気づき、バスの出口に移動したものの、階段の手前で立ち止まってしまった。扉の影になって表情は分からないが、かなり警戒しているようだ。
「岩柿村へようこそ」
私はお辞儀しつつ、穏やかに声をかけた。
「心配せんでも良いよ。早う降りて!」
キクばあちゃんも赤い口で微笑んだ。続けて祐輔と寛太が手招きをする。すると彼は、とまどいながらも一歩一歩ゆっくりと階段をおりてくると、やっとその姿を見せた。しかし、
「うっ!?」
私の予感と母の期待、そしてキクばあちゃんの期待は、見事に外れた。
顔色が悪く、腫れぼったい目に痩けた頬。カビのような無精髭を生やし、髪はボサボサ。着ているものはヨレヨレのTシャツにヨレヨレの半袖シャツ、ボロボロのジーパン、元の色が何色だったのか解らないほど色褪せたスニーカー、コケのような気持ち悪い模様が浮き出ている黒い野球帽。何もかもがしなびている。それに、はだけたような格好が、いかにもみっともない。しかも鼻をつく強烈な臭いが全身から漂っている。何週間もお風呂に入っていないのは明らかだ。さっきまでのドキドキが、いっぺんに萎んでしまった。
私は一歩前へ出ると、もう一度お辞儀した。臭いが、つんと鼻の奥に突き刺さる。我慢して、無理に笑顔を作った。すると彼は、なぜか私の顔を驚いた様子で見入った。誰かと勘違いしたのだろう。すぐに小刻みに首を横に振り、視線を逸らした。
「お兄ちゃん、いつから来たの?」
今度は祐輔が前に出て、鼻をつまみながら質問した。
「えっ?」
彼は質問の意味が解らず、回答に困っている。
「こらっ、失礼でしょ!」
私は鼻をつまんだ祐輔の指を、強引に引き離した。いくら期待外れでも、ゲストはゲスト。…とはいっても、確かに鼻をつまみたくなる。それにひきかえ、キクばあちゃんは偉い。臭いなんてちっとも気にしていない。
「よく来たねえ。ここは兄さんの時代より、少し前の時代の岩柿村っていうところなんだよ」
と言って近づき、彼の腕を軽くタッチした。
「時代?」
彼はますます意味が解らず、私たちとバスを交互に見ながら慌て出した。ちょっと危険信号! このままパニックになって暴れ出したりしたら大変!
「あ、あの、変な質問だと思うんですけど、今、何年ですか?」
私は思いきって手っ取り早い質問をした。いつもは唐突に時間の質問はしないのだけど、今日は緊急事態だ。彼が何年先からこの村へタイムトラベルしてきたのかを、じっくりと説明しなければならない。それにはまず、彼がいつの時代の人なのかを知る必要がある。だけど…、
「えっ?、何年って…二〇〇九年…でしょ?」
戸惑いながらも、ようやく質問に答えた彼の言葉に、きょとんとしているキクばあちゃんを除いて、今度は私たちが驚いて
「二〇〇九年!?」
思わず口を揃えてしまった。
今までは、ワンタンだかレンコンだかのファッションで、私の同級生の和則に鼻血を噴かせた「イケイケよ」が口癖の、一九九一年のお姉さんが、一番遠くの未来からやって来たゲストだった。今回のゲストはいっきに時代を越え、なんと二十一世紀からやって来た!
とたんに祐輔と寛太が目を輝かせて、
「ねえねえ! リニアモーターカーはもう走ってるの? 」
とか、
「あのお、火星旅行はできるのでしょうか?」
だの、
「ねえねえ! ロボットの召使いはいるの?」
だのと、次々と質問攻めを始めた。
すると野球帽の彼は、悪ガキたちの勢いに押されてよろめきながら、
「ちょっ、ちょっと待って!」
と、ポケットから四角いコンパクトミラーのようなものを取り出すと、持った手の親指だけで器用にいじり始めた。
「あ、あれっ? バッテリー切れ?」
今度はそれを耳にあてたり、空にかざしてみたり。どうやら何かの機械のようだ。でも、いくらやっても機能することはない。この村では、ゲストが未来から持ってきた機械は、なぜかまったく使いものにならない。腕時計だって、針は止まったままになってしまう。
「いったい…どうなってんの? ここ…、どこなんだよ?」
ぶつぶつとつぶやきながら、ふたたび親指でいじりだす。額に汗をかいて、だいぶ焦っている。いけない! なんだか危険な雰囲気!
「落ち着いて下さい!」
私が、悪臭に耐えて彼の体を押さえようとした時、突然、パパパンッと乾いた破裂音が鳴り響いた。
「ひゃっ」
ほとんど同時に、女の子のような悲鳴を発し、彼は白目を剥いて倒れてしまった。
「みなさん、どうもすいません。息子がご迷惑かけて」
静香おばさんが、ヘラヘラと笑っている祐輔の頭を強引に押さえながら、小さな声でみんなに謝った。寛太のお母さんの福恵おばさんも、申し訳なさそうに頭を下げている。
「二人のせいじゃないんです。私がちゃんと確かめなかったのがいけないの」
私はもっともらしく悪ガキたちを庇った。だけど、元々はれんげの発明が発端なのだから、頭を下げなければならないのは、こっちのほうだ。
「椎子ちゃん、いいのよ。うちの悪ガキ、庇わなくたって」
静香おばさんはそう言うと、祐輔の耳をつねった。
「イテテテテッ、母ちゃん、何すんだよっ」
うう、心が痛む…。
「シーッ」
ゴロベエ先生が私たちに注意すると、外で時雨れていた蝉たちが、不思議にピタリと鳴き止んだ。
いつもは暑苦しく感じるムクゲの花が、窓から涼しそうに覗いている。 村の人口の半分くらいで埋め尽くされた公民館の広間は、まるで蒸し風呂。拭ってもすぐに汗がにじむ。ゲストの近くに置かれた扇風機が、むなしく首を振り、熱風を送っている。
「ねえシーコ、本当にあの人がゲストなの?」
暑さを紛らわしたいのか、隣に座っていた明代姉さんが私の耳元で囁いた。
「うん…」
「私、ジャックみたいな人を期待してたのに、がっかり」
まわりのおばさんたちほどではないものの、髪をきれいにポニーテールにして、うっすらとお化粧した明代姉さんは、苦笑いしながら肩を落とした。
ジャックというのは、明代姉さんのお気に入りの映画スター、ジャック・ワイルドのこと。期待外れな気持ちは分るけど、映画スターと比べられては、ゲストもちょっと可愛そうな気がする。
「明代、何勝手なこと言ってんのよ。ジャックだって、アラン・ドロンやジュリアーノ・ジェンマに比べたら、全然大したことないじゃないの」
その隣の、お化粧しなくても充分きれいな克子姉さんが、半分吹き出しそうな顔で明代姉さんを肘で突っついた。私は口を押さえて笑いを堪えた。二人のやり取りはいつだって漫才を見ているようで可笑しい。
克子姉さんと明代姉さんは高校生。この村では兄妹ではなくても、目上の未婚の人を『姉さん』『兄さん』を付けて呼ぶ。一つか二つ年上の人の場合は、『先輩』か『さん』付け、または愛称で呼ぶから、正確には、三つ以上はなれている人が『姉さん』『兄さん』なのだ。ちなみに結婚している人はどんなに若くても『おばさん』『おじさん』と呼ぶ。いつからそんなふうに呼ぶようになったのか分からないけど、なんだか変な慣例だ。その慣例の犠牲になっているのが、広間の隅っこで、赤ん坊をおんぶして座っている美月おばさん。まだ二十歳前なのに、もうおばさんと呼ばれている。ゲストを見守っている女性たちで、お化粧していないのは克子姉さんとその美月おばさんぐらい。つまり私が何を言いたいのかっていうと、ここに座っている女性たちのほとんどは、やっぱり今回のゲストに期待してたんだなってことだ。おばさんたちの誰もが、母とどっこいどっこいの勝負で、お化粧の濃さを競っている。そこにしっかりと私も含まれているのが情けない。まあとにかく、これでハッキリと分ったことは、訪れるゲストには規則性が無いってことだ。
1975年7月21日 9:45