© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
© Karin Sonoyama / Sakoyan 2010
第八話 ジャックもレタスも、大丈夫。その一
今朝は十時半から公民館に集合している。明日の歓迎会の準備で朝から忙しい。五回目のゲストから、歓迎会は開かれるようになった。少し日を置いて開くのは、村の話し合いで決まったから。ゲストの気持ちが落ち着いた頃と、もっとも天候が穏やかな日を選んで、八月一日の金曜日、開始は夕方六時からと決まった。それから、野球バカトリオたちにとっては、この日は巨人が宿敵の阪神に大差で勝利する縁起の良い日だそうで、験を担ぐ意味も込められている。まあ、そんな験担ぎなど、私を含む村人たちの大半は、どうでもいいと思っている。
歓迎会の日はいつも晴れ。夏休みが繰り返すようになって、夕立さえ一度も降ったことがない。涼しい風が時折吹いてくれるから、不快指数はたぶん七十くらいで一日中快い。村人全員が一カ所に集まるには、明日は最適の日であるのだ。
ほとんどの人は、明日の朝から開始直前までの時間を、歓迎会の準備にあてているが、私たち「ふくれもち係」は一日前から準備をする。ふくれもちというのは岩柿村の名物で、もちという名が付いているけど、実態は、薄力粉をこねた生地に、アンコを詰めて蒸したまんじゅう。
お正月とか誕生日など、お祝いの時に食べる縁起物ではあるが、観光地のお土産のような、しっとりとした上品なまんじゅうに比べたら、その味は素朴すぎて足元にも及ばない。だけど、やっぱりお祝いの席にはふくれもち。どんなに豪華な料理が並んでいようとも、その中にふくれもちが並んでいなければ、楽しい雰囲気は半減してしまう。私たち岩柿村の住民にとって、お正月の雑煮やひな祭りの菱餅以上に、欠かせないものなのだ。これを、中学と高校の女子全員、それに、ふくれもち作りの名人のキクばあちゃんが加わって、百個余りを作る。
中学高校の女子全員といっても、この村には五人しかいない。高三の克子姉さん、高一の明代姉さん、中二の私に、中一の光子と由美。それでも、この人数でじゅうぶん足りる。前日から作業するのは、明日に備え、材料や道具を揃えておくため。本番のふくれもち作りは、明朝から一気に進める。
日をまたいで忙しいふくれもち係ではあるけれど、みんな楽しんで作業をしている。毎回感じていることだけど、今日の気分は、子どもの頃、遠足の前日に感じた、あの、わくわく感に似ている。透さんにはちょっと悪いけど、なんてったって、明日は歓迎会というより、岩柿村のお祭りみたいなもの、なのだから。
「まだもう少し、時間あるわね」
克子姉さんが、奥の部屋の掛け時計を覗いた。
「じゃあ、それまでおしゃべり!」
と、明代姉さんが真っ先に台所の椅子を引くと、みんなはテーブルを囲むように次々と席に着いた。
薄力粉が届けられるのは十一時頃。それまで、いつものように、おしゃべりをしながら時間をつぶす。
「透さんって、デザイナーなんだって?」
克子姉さんが両手でほおづえをついて、透さんの話題を切り出した。
「うーん…、デザインの勉強をしてる、っては言ってたけど…」
私は答えにとまどった。
「リーターよ、リーター」
代わりに、キクばあちゃんが嬉しそうに答え、言い間違えた。
「リーターじゃなくって、フリーターでしょ」
「あれ、そうだったかね。やだねえ、フ抜けになってたよ。はっはっはっはっ」
「もう、ばあちゃんたら、チータといっしょになってるんだから」
私が呆れていると、明代姉さんが手を叩たいた。
「ばあちゃん、うまいこというなあ!」
初日の失神事件と、お世話係の家に閉じ篭って最長記録を更新したことで、透さんは気弱な人、というイメージがみんなに定着してしまった。もちろん、キクばあちゃんは本気で間違ったのであって、透さんのことをふぬけと皮肉ったわけではない。だけど、絶妙な言い間違い。笑点の三波伸介だったら、確実に座布団三枚はあげている。
「でもさあ、フリーターって言葉、なんかかっこいいよね」
「うん、やっぱりデザイン関係の仕事なのかな?」
由美と光子が、克子姉さんの真似をして、ほおづえをついた。
「詳しくは聞いていないけど、デザインの仕事じゃないみたい」
結局は私も、どんな仕事なのか解っていない。
「やっぱりそうだよねえ。どんなにひいき目に見たって、あの野暮ったい顔は、デザイナーには見えないもん」
「こらこら、明代、ちょっと言い過ぎなんじゃないの」
明代姉さんの口の悪さを、克子姉さんは注意した。だけど、
「と言っても、まあ、あの汚い恰好は、デザイナーには結びつかないわね」
と、苦笑いしながら付け足した。
「そういえば、電話で仕事を受けるって言ってたけどねえ。…ほら、シーちゃん、何電話っだったかねえ」
キクばあちゃんは、拡声器用の呼び出しマイクを手に持つ仕草をしながら、私に助けを求めた。どうやら、透さんのことをさらりと庇っているようだ。
「ケータイでしょ」
私が言った聞き慣れない単語に、
「ケータイ?」
みんなが反応した。
「仕事がある時は、登録している会社からケータイに連絡があるって、透さん、言ってたっけ。あ、ケータイって、携帯電話のことなの」
「携帯電話!?」
みんなは、たちまち目を丸くした。
「本当はね、携帯電話って言うらしいんだけど、略して携帯って呼ばれていたのが、いつのまにか訛って、ケータイって呼ばれるようになったんだって」
透さんに教えてもらった豆知識を説明すると、克子姉さんがポンと手を打った。
「それって、いつかのゲストのお姉さんが自慢してた、移動電話のことじゃないの? 確か…そうそう、イケイケのお姉さん。一九九一年では、自動車に電話が積んであるって言ってたじゃない」
由美と光子は、そろってうなずく。今まで、未来から訪れた人はたくさんいるのに、ゲストの話題になると、必ず出てくるイケイケのお姉さん。それだけ、あのお姉さんは、私たちに強烈な印象を残していった。まあ、それはともかく、
「ううん、違うの。透さんのケータイって、透さんが携帯できる電話なの」
私は解りやすく説明してあげた…つもりだったけれど、かえって、みんなの思考を鈍くさせてしまった。
「もしかしたら、透さんって、お金持ち?」
由美が、わざと期待に満ちた表情を浮かべる。
「そういえば、移動電話って、もの凄いお金持ちの人しか持っていないって言ってたわよね。ほら、彼氏の一人が大会社の社長の息子で、その彼が乗っている車に付いているって」
克子姉さんが、また、イケイケのお姉さんの自慢話を思い出した。
「うーん…、移動電話とはだいぶ違うんじゃないかなあ。お金持ちかどうかは解らないけど、ケータイは誰でも持ってるって言ってたから」
「誰でも!?」
光子が真っ先に驚いた。
「うん、小学生も持ってるって」
「小学生っ!」
今度はみんなこぞって驚いた。そりゃ驚くに決まってる。悪ガキたちがケータイを使いこなしている、なんて姿を想像したら、驚かないわけがない。
「率直な疑問なんだけど…」
ふいに明代姉さんが立ち上がった。
「どうやって、電話を携帯するっていうの?」
と、左手で受話器を持つ真似をして、
「それに、コードはどうなっているの?」
受話器のコードに、右手の人差し指を絡める仕草をしてみせた。そういえば、大きさのことはまだ話していなかったっけ。きっと、みんなの頭の中には、透さんが黒電話を抱えている姿が浮かんでいる。
「コードは不要なんだって。それに、大きさだってこれぐらいしかないの!」
この前のゴロベエ先生がやったみたいに、両手の親指と人差し指で窓をつくり、大きさを示す。と、みんなは身を乗り出して窓を覗き込んだ。
「小さな…トランシーバーみたいなもの?」
「遠くの人とは話せないの?」
光子と由美が不思議がった。
「私もそうなのかなって思ったんだけど、トランシーバーと違って、世界中どこからでも、どこにでもかけられるんだって。それに、番号をいちいち回さなくても、電話がかけられるらしいの!」
それが現実の話しだと思わなかったのか、克子姉さんも明代姉さんも、由美も光子も、同じようにポカンと口を開けてしまった。
「はっはっはっ、便利なもんじゃろー」
キクばあちゃんが、まるで自分のもののように得意げにうなずいた。
「ねえシーコ、そのケータイって、本当に誰にでもかけられるの?」
明代姉さんの目が、急にキラキラと輝き出した。
「たぶん。透さんがそう言ってたから、かけられるんじゃないかな」
「じゃあ、その気になれば、ジャックにもかけられるのね」
ジャック・ワイルドの大ファンは、とたんにときめいた。
「あ、じゃあ私はマーク・レスターにかける!」
「私も私もっ! 絶対マーク・レスター!」
にわかファンの由美と光子が、続けて手を挙げる。
「ジャックもレタスも、大丈夫、大丈夫」
キクばあちゃんは、さらにうなずく。
「やだあ、ばあちゃん、レタスじゃなくって、レスターよ。マーク・レスター!」
由美が呆れる。キクばあちゃんは、かまわずうなずき続けている。それにしても、ジャック・ワイルドやマーク・レスターって、そんなに素敵なんだろうか。彼らの良さがまだ分からない私は、どうせなら、アラン・ドロンやジュリアーノ・ジェンマにかけてみたい。それからもちろん、吉澤先輩にも…。
1975年7月31日 10:43