短編「ゴブリンの知恵」後編
短編「ゴブリンの知恵」後編
「もっと食いたいのなら、良い方法を教えてやってもいいが…」
「本当かっ!?」
「ああ。そのかわり、毒素が回っても知らないぞ」
「構わない! ぜひ教えてくれ!!」
「しかたがない。教えてやろう。ようするに、真っ昼間に人間の町に出かけて行って、やつらを脅かすのさ」
「…そんなことして、大丈夫なのか?」
「ああ、やつらの臆病なところは、一人の時も、大勢の時も、まったく変わりはしない」
「そういうものなのか?」
「ああ、そういうものだ」
「それにしても、どうして昼間がいい? 朝や夜ではだめなのか?」
「ああ、朝や夜より、昼間のほうが美味いものが食える」
「どうして?」
「つまり…こういうことだ。人間というのは、朝、昼、晩、家の中で一日三回の食事をする。中でも一番美味いものを食っているのが昼だ。だから、その時間を狙って一軒一軒脅して回る。臆病な人間どものことだから、脅されたら無条件で食い物を差し出す」
古株のゴブリンは、自分が持っている人間の情報に、まったくのデタラメを織り交ぜ、新米が納得するような適当な話をでっち上げた。
新米ゴブリンは、それをまるっきり信じ込むと、
「なるほど、それは良いことを教えてもらった。早速明日、人間の町へ出かけることにするよ!」
と言って、まるでリズムをとりながら、軽快に踊るように自分の棲かに戻って行った。その表情は、だらしない恍惚の表情から、いつの間にか期待に満ちあふれたものに変わっていた。そんな新米ゴブリンを見送りながら、古株のゴブリンはニヤリと笑った。
「ふん、馬鹿なやつだ」
実は古株のゴブリンは、古株と言えるほどの経験を積んでいるわけではなかった。実際には、新米ゴブリンに僅かに毛が生えた程度のものだったのだ。だから、古株のゴブリンも、人間の町にはまだ一度も行ったことが無かったし、大勢の人間なんて見たことが無かった。それなのに、人間に関しての情報は、ある程度持っていた。以前、経験豊富な他の魔物たちが、人間のことを話しているのを盗み聞きしたことがあったからだ。だから、人間たちが一日に三回の食事をすることや、本当は夕食が一番豪華なものであること、さらに、一人では臆病な人間が、束になると凶暴な集団に変貌するってことや、昼間に人間たちの町に出かけることが、いかに危険であるかってことまで知っていたから、経験不足に毛が生えた程度とはいえ、真っ昼間に人間の町に魔物が出現すれば、どんな目に遭うかは、大凡見当がついていた。
まんまとデタラメ話に乗せられた新米が、大勢の人間たちによってリンチをくらい、瀕死の状態で山に逃げ帰ってくるのを大いに笑ってやろうというのが、古株のゴブリンが閃いた企みだったのだ。
「明日が楽しみだ。ヒッヒッヒッ」
筋書き通りに事が運びそうで、古株のゴブリンはわくわくしながら笑った。そして、自分の悪知恵に、さらに磨きがかかったことを悟ったのだった。
次の日の夕方、古株のゴブリンは、山道の入り口で新米ゴブリンの帰りを待った。昼前、張り切って出かけた新米ゴブリンが、ぶざまな格好で戻ってくる様子を想像し、腹の底からこみ上げてくる笑いをぐっとこらえていた。ところが…、やがて戻ってきた新米ゴブリンの様子は、古株の想像とはまったく正反対のものだった。
まるで惑わしの妖精に、甘美のまじないを掛けられたかのように、新米は昨日にも増して恍惚の表情を浮かべていたのだ。
人間たちに袋だたきに遭って、命からがら逃げ帰ってくると思っていた古株のゴブリンは、予想が外れてまたしても面食らってしまい、つい本音を出して顔をしかめた。
「どういうことだ?」
しかし新米ゴブリンは、古株のゴブリンの表情などまったく気にしない様子で、嬉しそうに応えた。
「あんたが言ったとおり、…いや、それ以上に、人間というのは臆病な生き物だったよ。どの家も俺の顔を見たとたん、何も言わずに食い物を差し出した」
「ほんとかっ!?」
「ああ、おかげで食い放題さ。他の魔物たちに先を越されないように、大急ぎで回った甲斐もあって、腹一杯食うことが出来た」
新米ゴブリンは、膨れた腹を満足そうにさすった。
どうやら、新米の言うことには偽りは無いようだった。口の回りに、その証拠となる食べ粕を張り付かせ、甘い匂いをほのかに漂わせていた。
「他にも魔物がいたのか?」
古株のゴブリンは、いぶかし気に首を傾げた。
「見たことも無い魔物たちが、うようよいた。みんな、手慣れた様子で人間たちから食い物を脅し取っていたよ」
新米ゴブリンは、腕組みしながら土産話を自慢した。
いったいどういうことだ? まさか…!?、疑惑の念が古株のゴブリンの脳裏を過った。いつかの魔物たちが言っていた人間の情報は嘘だったのか? デタラメなネタを掴んでしまったのは、まさか、おれの方だったのか? さらに雑多な思いが重なり、古株のゴブリンは苛立った。
そんな心情を、何もかも見透かしているかのように、新米ゴブリンは満足そうな顔で続けた。
「まあとにかく、人間の食い物をたらふく食っても何ともないし、むしろ気分がいい。毒素が回るなんて思えないくらいだ」
そして、さらに続けた次の一言が、古株のゴブリンをもっと苛立たせた。
「あんたも、行ってみたらどうだ。あんたなら、もっと美味い物を脅し取ることができるだろうし、毒素なんか気にせずに食うことができるだろうに」
古株のゴブリンには、それがいかにも余裕をかました言葉に聞こえたのだ。もちろん新米ゴブリンは、デタラメを見透かしているわけでも、余裕をかましているわけでもなかったが、深読みしすぎた古株のゴブリンは、自ら強烈な卑屈の渦に入り込んでしまった。
「ああ! もちろん! おれなら、もっと美味い物を…、人間たちの一番美味い食い物を、簡単に脅し取ることができる。早速明日にでも、証明してやろう。かたっぱしから脅し取って、食いきれない分は、この中にたっぷり入れて持ち帰って来てみせる!」
古株のゴブリンは、肩から下げていたバックを握りしめ、精一杯強がってみせた。しかし、彼は、いずれ破滅へと向かう典型的な、マイナスの選択をしてしまった。
客観的に判断すれば、何かがおかしいと気づいたことだろう。微量ではあるが、不穏な空気の流れを、敏感に感じ取っていたに違いない。しかし、苛立ちが極限まで増大してしまった古株のゴブリンは、すでに冷静な判断力を欠いてしまっていた。
次の日の昼前、古株のゴブリンは、冷静さを欠いたまま、人間の町に出かけて行った。新米ゴブリンは、それを静かに見送った。しかし…その日、日が暮れても、古株のゴブリンは戻ってはこなかった。夜が明け、次の朝を迎えても、古株のゴブリンは姿を見せなかった。
「もしかして、本当にもっと美味い物を脅し取り、この時間になってもまだ食い続けているのか? いやいや、そんなはずがない!」
新米のゴブリンは首を横に振った。なぜなら、昨日のように簡単に食い物を手に入れることが、おそらく難しいだろうと予想していたからだった。
山道の入り口で古株のゴブリンの帰りを待ちながら、新米ゴブリンは、前々日に人間の町をうろついていた魔物たちが交わしていた話を、思い返した。彼らは、人間が気前よく食べ物を差し出すのは、一年に一度のことだと言っていた。その肝心な情報を、新米ゴブリンは古株のゴブリンに伝えなかったのだ。
忘れていたわけではない。わざと伝えなかった。決して明確な企みがあったわけではなかったが、伝えない方が、なんとなく自分にとって都合がいいような気がしたのだ。
人間の町へと続いている山道を目で下りながら、新米ゴブリンは、ほんの一瞬、古株のゴブリンに悪いことをしたなと思った。しかし、すぐに、あの嫌味ったらしい古株のゴブリンが、このまま居なくなってしまえばいいなという願望が、次第に大きくなっていった。そうすれば、また来年、この山のゴブリン族では、唯一自分だけが美味しい思いができるのだ。
「美味しい思いを独り占めにするというのは、きっと爽快だろうな」
先のことをイメージして、新米ゴブリンは心が弾んだ。本人はまだ気づいていなかったが、彼は、ゴブリン特有の悪知恵を一つ、身につけたのだった。
その頃、人間の町では、メインストリートを一台の黄色いバスが走っていた。車内は、一昨日に様々な魔物の仮装をして、町中をうろついていた子供たちで占領されていた。ぎこちなく揺れるシートも気にせず、子供たちは同じ話題で大いに沸いていた。
「本当に出たのかい!?」
「出たんだって!! 」
「本当!?」
「本当だってば!! もの凄く気味の悪い顔をした怪物だったって!!」
「まさか!?」
やがてひとりの子供が、親からもらってきたと思われる地元の新聞を掲げ、叫んだ。
「だってほらっ、今日の朝刊にちゃんと載っているよ! <ハロウィンの前日に山道でA氏を襲った怪物が、ハロウィンの翌日に町に現れ、果敢な元猟師の男性によって退治された…>って!!」
突出しエッセイ